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2020年2月 7日 (金)

北条五代の娘たち ⑧ 玉縄水軍の御しんぞう様

マリコ・ポーロ

シリーズ 北条五代の娘たち【二代北条氏綱の息女~北条綱成室大頂院】

コメントをくださった皆様へ~
ブログのシステムが変わってから、くださったコメントへのお返事がうまく送信されていないことに今頃気が付きました。コメントへは必ずお返事を差し上げているのですが、もし届いていなかったら本当に申し訳ございません。違う方法で順次再送させていただいておりますが、もしお届けできていない方がいらっしゃいましたらお許しを。今後もコメントいただけましたら嬉しいです。



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~相模湾と玉縄を繋ぐ柏尾川(写真の向こうが相模湾、城は右側、左に現代の大船駅)~


永禄10年、三船台で負けた後、綱成の舟が座礁した。玉縄の舟はどこに停泊していたのだろうか?現在の柏尾川はほぼ改修されているとはいえ、戸部あたりに「舟入」の跡らしき場所があるようなそうな。ただ史料はないそう(玉林美男氏)。


さて、シリーズにしている「北条五代の娘たち」。二代氏綱公のお嬢さんたちの、やっと最後の方にござりまする。前回の ⑦山木大方は、なんと!一年前だったのですね。山木の方の印判がイノシシだったので、昨年亥年の年頭にアップしたのでした。(シリーズのブログ記事は文末に添付。ご覧くださるといと嬉し。年齢順不同。)

昨年は玉縄や江戸湾の海賊や水軍関係の講演をたくさん拝聴しました。それらを元に玉縄に嫁いだ姫のことを書きたかったのですが、講演をあまた聞き過ぎ、その上、すぐ他に気が散るため、まとめられぬまま今となっては忘却の彼方。
(ノД`)シクシク…


▲ 玉縄の御しんぞう様とは

法名:大頂院殿さま

父上:二代当主、氏綱
母上:養院さま
(近年、伊豆の横江北条の娘だとされている。)

兄上:三代当主、北条氏康

夫君:氏康のバディ💛、初代玉縄北条、北条綱成
嫡男:玉縄北条二代、北条氏繁


夫君の綱成のことは皆さんご存知ですし、今まで史実・妄想含めたくさん書いてまいりましたので割愛しますが(下記にリンクを添付)、とにかく氏綱公や氏康殿にとっては無くてはならぬ人で、非常に大事にされました。

綱成の出自は今川の福島くしま だとか 父親が伊勢九郎だとか諸説あります。北条での立ち位置を細かく言うと、綱成は北条の家臣であったのが→北条の娘を娶り北条「一門」となりました。大頂院の子、氏繁の時代から「氏」をもらい北条の「一族」となりました。あ、ご存知?失礼。


一門の中でも綱成は随分と特別扱いされていますよね。前にも書きましたが、私なぞ、綱成は氏康の腹違いの弟なのではないかと妄想するほどです。母親の身分が低いとか差し障りある筋とかで公にはせず、でも、公然の秘密だった…みたいにゃ。家光と保科正之みたいにゃ感じ。

大頂院さまが嫁いだ時期は定かではありませんが、長男の氏繁が生まれたのが天文5年です。その頃は玉縄領も玉縄水軍も、氏康の弟であり大頂院の兄である為さま(為昌)のものでした。河越の夜戦(夜戦かどうかは諸説あり)も起きていないですし、鎌倉の鶴岡八幡宮の再建もされていません。まだまだ北条盤石とはいえない頃です。綱成の力がたいそう必要だったのでしょうねえ。


綱成は、天文2年頃には玉縄城代として為さまを補佐していたようです。

数年後に、氏康のバディ💛だった綱成には氏康の妹が嫁ぎ、

為さまは 11年に突然他界します。まだ23才でした。

綱成は為さまの所領の多くを受け継ぎます(その後所領は少し分散)。


だからなんなんだ?思わせぶりな書き方して…ですが、為さまの死因にワテは疑問があり、いや、つまるところ、とにかく、氏康と一心同体のそんな最有力人材に嫁いだのが 大頂院です。以後、夫君の綱成は小田原北条躍進の一翼を担い、その子供達は一族の重鎮となってゆきます。


▲ 大頂院さまが御しんぞう様だった前後の頃の主な海戦(もちろん、対里見)

(大永5年&6年)
里見が三浦に侵攻。天文2年にいったん解消するが、6年に手切れ。


(弘治2年)
これは以前に当ブログ「弘治2年の北条vs里見の海戦は本当にあったのか?」でも書きましたが(下記にリンクを添付)、ずっと疑問でした。里見が城ヶ島を攻撃し、腰越に侵攻とされていましたが記録で見つけられなかったんです。

昨年の玉縄での真鍋淳哉氏の講演で少し謎が解けました。真鍋氏がおっしゃるには、これは永禄4年の出来事との間違いではないか?とのこと。

しかし、『海の日本史 江戸湾』の「戦国期の江戸湾をめぐる攻防」には、
この時(弘治2年)に発給された氏康の書状には、里見水軍を退散させて勝利に導いた梶原・愛洲・橋本・安宅氏に感状を出すとしている…」
とありました??


(永禄4年)
謙信君の小田原攻め時に、里見は鎌倉へ侵攻(和睦は天正5年)。


このあたりが大頂院さまの頃の玉縄の主な海戦ですが、大頂院さまが亡くなって以後、江戸湾の緊張感は益々高まっていくことになります。

「…玉縄城は北条氏にとって重要な役割を果たした「水軍」を統括する役割を果たす」
まさにこれが玉縄城の役割だったと真鍋氏。そして、三浦郡が独立し、三崎城と役割を分担することになります。



▲ 大頂院の菩提寺「大長寺」

大長寺は、玉縄城のある大船駅からバスで10分かかるかかからないか。開基は夫君の綱成殿です。

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墓所は檀家さん墓地の一角にあります。大頂院の息子氏繁の室、七曲殿(新光院殿)は氏康の娘ですが(イトコ同士の婚姻ね)、七曲殿のお墓もこの中にあるそうです。


私にはどれがどなたのやら分かりません。江戸時代に入ってから亡くなった方の新しいお墓は没年や法名が読み取れますが、摩耗していて分からない墓石もあります。たぶんそれらが大頂院や七曲殿のお墓でしょう。一番奥の隅の墓石が最も古そうです。

先日、小田原で梅の枝をゲットした帰りにも立ち寄りました。梅枝は一本だけだったので、ひとつひとつの墓石の前に順番に手向けながら、「本城の梅にございますよ~🌼」とお参りしました。


永禄元年(1558)大頂院死去。嫡男の氏繁はもう 22才位になっています。大頂院さまは 40才 になるかならぬかだったと思いますが、後に憂いはなかったことと…思いたいです。


🐎 綱成母、氏綱正室 養院菩提寺、浅倉の娘 養院菩提寺「香林寺」の 超・錯綜について

ご興味ある方は以前のブログ記事(下記リンク「前編~玉縄の&氏綱ご正室養珠院の謎」)をご覧くださいましたら助かりまする。大頂院さまには直接関係がないのと、本が出るたびにどんどん説が変わってゆき、よりややこしくなるので、ここにあらためて書くことはしないでおきます。


🐎 主に参考にした本

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・『海の日本史 江戸湾』2018.8.17 石村智/ 谷口榮 / 蒲生眞紗雄(洋泉社歴史新書)
・『戦国江戸湾の海賊 北条水軍vs里見水軍』2018.5.1 真鍋淳哉(戎光祥出版)
・『江の島、神の島から人の島へ』2019.3.29 伊藤一美(藤沢市文書館)


🐎 参考にした講演・シンポジウム
(今レジュメが手に入るかどうかは不明。紹介しておきながらすみません。)

・真鍋淳哉 講演「海と川をめぐる戦国大名の戦い~海をめぐる北条・関東上杉・三浦・里見の戦い」
戎光祥ヒストリカルセミナー 2019.4

・戦国時代の鎌倉の実況 2019.5、玉縄城址まちづくり会議
「戦国江戸湾の海賊と玉縄城の水運」真鍋淳哉
「玉縄領の家臣は何処にいたのか」真鍋淳哉・伊藤一美・玉林美男・大竹正芳

・「最新玉縄城資料から見える、実況検討」2019.6、玉縄城址まちづくり会議
黒田基樹・伊藤一美・玉林美男・大竹正芳


マリコ・ポーロ こと 萩真尼


☆ 以下、玉縄城についてのブログ記事の一部なり
「玉縄城-1 現代の難攻不落の城へ」2011.10
「玉縄城-2 現代の難攻不落の城」2011.10
「玉縄城-3 現代の難攻不落の城」2011.10

「玉縄城下の探索会へ(2019.11)」
「玉縄主催セミナー 「まだナゾだらけ戦国時代の鎌倉」」

「弘治2年の「北条 vs 里見の海戦」は本当にあったのか?」

「玉縄城の歴代城主の法要が営まれました」

「為さま(北条為昌)の菩提寺探しに、お助け本が!」

「玉縄城主・北条為昌の菩提寺で、ビビッきた氏綱ご正室の出自
「前編~玉縄の北条為昌&氏綱ご正室・養珠院の謎」
「後編~玉縄の北条為昌&氏綱ご正室・養珠院の、謎」
「玉縄城主・北条為昌の菩提寺で、ビビッときた氏綱ご正室の出自」
「香林寺の開基は、氏綱公ご正室?為昌殿ご正室?」

「小説 「後北條龍虎伝」と「早雲の軍配者」」
・綱成のお嬢さんの菩提寺のこと含む→ 「「吉祥寺」 古河公方室、太田道灌、遠山氏ゆかりの名刹」


☆ 以下は、まだまだ途中ですが、シリーズ「北条五代の娘たち」

▲初代 伊勢宗瑞(北条早雲)の息女

・「北条五代の息女たち①今川から戻った長松院様」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-3132.html
・「北条幻庵の、伊豆の屋敷と菩提寺「金龍院」」

http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-df1a.html
・「北条幻庵の妻は、葛山氏ではないだろうか?」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-d602.html


▲二代 北条氏綱の息女

(浄心院)
・「北条五代の娘たち ② 太田資高室~浄心院は氏綱の娘か道寸の娘か?」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-3f58.html
・「江戸編~浄心院は氏綱の娘か道寸の娘か?」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-aaec.html
・「祖父道灌が誅され、父資康が三浦へ行った後、資高はどうしていたのか?」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-92ee.html
・「安房編①~浄心院は氏綱の娘か道寸の娘か?」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/post-69b9.html
・「安房編②~浄心院は氏綱の娘か道寸の娘か?」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-dcd4.html

(吉良殿室)
・「北条五代の娘たち ③ 吉良頼康 室~上杉謙信の侵攻と吉良の代替わり」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-9be1.html

(今川六郎殿室)
「北条五代の娘たち ⑦ 錯綜する堀越(今川)六郎室」
「吉良頼康ゆかりの寺々(川崎・目黒・世田谷・蒔田)」

「「蒔田の吉良氏 戦国まぼろしの蒔田城と姫君」展」

(古河公方室)
・「北条五代の娘たち⑤古河公方晴氏室~関宿にある謎の五輪塔」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-b38c.html

(葛山殿室)
・「北条五代の娘たち ⑥ 諏訪湖に消えた駿東の名族葛山氏」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/post-7fbd.html


▲三代 北条氏康の息女

(今川殿室)
・「北条五代の娘たち④今川氏真室~戦国の高等遊民夫妻」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-9cbd.html
・「今川氏真が父義元の13回忌を営んだ小田原「久翁寺」」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/13-bdf8.html
・「東京にある、今川氏真と早川殿の菩提寺」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-1bac.html
・「今川氏真夫妻らの、当初の菩提寺 「萬昌院」」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-88b5.html



画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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