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2020年3月21日 (土)

今日(3/21)は、北条氏康の早世した長男の命日です

マリコ・ポーロ

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~早雲寺と門前の桜。北条歴代当主とその正室、そして、氏康・氏政の早世した嫡男たちの菩提寺でもあった。~


北条一族で、ついつい忘れがちですが、時々思い出しては気になる人がいます。その人は「新九郎」くんとおっしゃいます。

新九郎くんは氏康の長男で、氏政の 2-3才 上の兄上になります。亡くなったのは、天文21年3月21日。16歳で天に召されました。


元服したのは亡くなる前年の末あたりとされています。急な病だったのでしょうか。

実名は、近年の研究では「氏親」とされています。もしそうだとしたら、母である今川の瑞渓院の父親の名前、つまり祖父と同じ名前です。今川を大きく発展させた当主にあやかったのでしょうか。次代当主として嘱望されたであろう矢先に命尽きるとは…可哀想でしたねえ。


天文21年といえば、上杉憲政が越後の謙信君の元へ行った年ですね。パパ氏康は上野への侵攻を進め、謙信君も越山。また、氏康の妹芳春院の子である足利ヨッシー(義氏)が、古河公方に就任。前年、ヨッシーのパパはるる(晴氏)と氏康は、一応和睦したんですね。(このあたりのことは先のブログ「北条五代の娘たち」の芳春院のところで書きました。)

新九郎くんが此の世を去ったのは、そんな頃です。


その容貌ですが、以前ブログにも書きましたが、数年前に「馬の博物館」で公開された謎の少年像が新九郎くんかもしれないかもしれないそうですよ。朝倉直美氏が検証され、その可能性があると講演会でおっしゃっていました。

なかなかイケメンで、少し憂鬱な表情がかえって魅力的。そうだったらいいな~~。


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~桜々の滝山城(2013年)もしかしたら氏政の城だった…わけないね。~


氏照の少年時代を妄想する時、松千代丸くん(氏政)& 藤菊丸くん(氏照)&助五郎くん(氏規)&乙千代丸くん(氏邦)の4人だけの絵面が脳裏に浮かびます。しかし、本来は新九郎くんを入れた5人が兄弟として過ごしていたのですね(景虎さんは新九郎くんが亡くなってから生まれた)。

もし、もし、新九郎くんが生きていたら、彼らの構図はどうなっていたでしょう。氏政さんは、どこかの支城を任されたはずです。どこかしら?順繰りにズレたのかな。それともパパ氏康がそれぞれの資質に合った地を選んだか。


氏政&氏照の最強ペアは、新九郎くん&氏政ペアになっていたでしょうか。いや、やっぱり政&照ペアは不動で、照は政を当主につかせるために……

なーんて、Black、ブラック。。。


新九郎くんが存命で四代当主になっていたら、氏政さまの生涯に渡るストレスもまた違ったものになっていたでしょう。そして、当主が違えば、小田原北条もまた違う方向に向かっていたかもしれません。

考えても詮無いことですが…。


法名は「天用院殿」。墓所の天用院は早雲寺にあったそうですが、早雲寺一帯は秀吉に焼かれたため跡形もありません。


マリコ・ポーロ こと 萩真尼

少年像が馬の博物館にて公開された時のブログ記事です。
「謎の北条家少年像~馬の博物館(2017年)」

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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