宗瑞を圧迫した立役者、赤沢朝経~家永遵嗣氏 講演
マリコ・ポーロ
医療、保険、介護、保育、ごみ収集関係、警察、保安、交通機関、公共機関、生活必需品販売関係、宅配関係などなどの現場にいらっしゃる方々、本当にありがとうございます。
そんな切迫した状況下で呑気なことばかり書いていて恐縮です。
~小田原シンポジウム「伊勢宗瑞の時代」のレジュメ~
さて、ところで、いきなりですが…
赤沢朝経 って、誰?
今となっては遠い昔のように感じる世の中が平穏だった昨年の12月、小田原で シンポジウム「伊勢宗瑞の時代」が開かれました。そこで、家永遵嗣氏が、赤沢朝経(宗益)は「伊勢宗瑞圧迫の立役者」だとおっしゃったのを聞いて以来ずっと気になっています。
図書館も使えない今…といっても、中央図書館のホームページで蔵書検索をしても、赤沢朝経について書かれた本は出てきません。
🐎 そこで、人様のブログやホームページを覗かせていただいた
すぐ感化されてしまう単純な脳なので人様の記事はあまり読まないのですが、この際致し方ないということで、やはりとても少ないながらも拾わせていただいた赤沢朝経(宗益)の情報は…
・赤沢家は、小笠原の庶流で、本拠地は信濃である。
・今川氏親に圧迫をうけた斯波のお友達
・足利義政の弓道の師匠であり、細川政元(勝元の息子)の被官だった。
・明応年間、義澄を立てた主君細川と共に反義稙(義材)派で活躍。
・つまり、新九郎さん(宗瑞)と仲間の時もあった。
・永正元年、主君細川政元に反逆するが → その後また政元に復帰。
・政元が家臣に暗殺された時に自身も自刃。
などなど。合ってる?
~小田原のレジュメはいつも分厚くて本のように充実!~
🐎 シンポジウムでの家永氏の話&レジュメより
明応7年、宗瑞が伊豆を、氏親様は赤沢朝経のお友達の斯波氏から遠江をゲット(ゲットとは家永先生はおっしゃらないけど)。
しかし、義澄 をかつぐ細川(含む赤沢朝経)・宗瑞・今川氏親達は「少数派」である。
↓
明応8年、北陸にいた 義植 が上洛開始。これが「二人の将軍の対立の 第2段階 の始まり」と。
↓
細川が、越後上杉・山内上杉・古河公方(政氏)を 義澄派 に誘いこみ、東国の義澄派は多数派になる。茶々丸が没したことで、細川は茶々丸派と結ぶことが出来るようになったのだ。
(義植は周防へ逃れる。)
↓
文亀1年頃から、宗瑞や今川氏親は、細川のこの「政策転換」により細川勢力から圧迫をうけるようになる。そして、「政策転換」は赤沢朝経を主導とした「軍事的敵対政策」へと発展する。
つまり、これは「裏切り」と言って良かろうと。
↓
この頃、赤沢朝経はお友達の斯波のために、かねてより企画していた氏親様から遠江を取り戻す攻撃を実行!
↓
宗瑞は、赤沢に協力している小笠原に対抗するため(か?)の甲州対策で、信濃の諏訪に接触しようとしている。赤沢は、小笠原を通して諏訪とのパイプが強いからだ。
宗瑞は、諏訪と武田が細川側につくことを恐れたと思われる。
新九郎さんの仲間がどんどん減ってゆくこの時期が、「新九郎さん最大のピーンチ!の時期」。
それは、「宗瑞が茶々丸を討って義澄の生母の仇討ちを果たした、という功績は、細川政元の裏切りで吹っ飛んだ」ということにもなる。
↓
そして、家永先生曰く…
文亀4年(永正1年)に、宗瑞が小田原を支配しているらしい証拠が顕れるため、宗瑞が大森から小田原城を奪う何事かがあったようだ。
(宗瑞の小田原城奪取の時期については、いまだ諸説あり?)
と、以上は、なるべく家永先生がお話しとレジュメでお使いになった言葉で書いたつもりでござる。
とはいえ、京の情勢や明応~永正のこの時期の坂東にも知識が浅く、家永先生の機関銃トークに耳はついて行けても脳がついて行けなかったマリコ・ポーロ のこと。早とちり、勘違いがあるやもしれず、ご興味を持ってくださった方は是非レジュメをお取り寄せくださいませ(現在もあるかどうか不明)。
赤沢朝経。小田原北条の追っかけで、新九郎さんのこともたくさんブログに書いておきながら、まったく知りませんでした。というか、新九郎さんの個人情報ばかり書いていて、その時代をほぼ知らなかったことにも気が付きました。
まだまだまだまだ 々々々々々……知らないことばかり。
ゆうきまさみ氏は、ここまで書いてくれるかにゃ~。伊豆をゲットするまでのような雰囲気のことをおっしゃってもいたようないないようなでしたが…。
▲「講演「伊勢宗瑞 漫画家と歴史家が語る北条早雲」」
「『新九郎、奔る!』 ゆうきまさみ 著」
▲ 「小田原北条の女領主、伊豆の山木大方」
「早雲・秀吉の兵火に耐えた五体の運慶仏」
「後北条家の御用達 「江川酒」を飲んだ」
▲ 伊勢宗瑞(北条早雲)の息女たちのこと
「北条五代の息女たち①今川から戻った長松院様」
「北条幻庵の、伊豆の屋敷と菩提寺「金龍院」」
「北条幻庵の妻は、葛山氏ではないだろうか?」
萩真尼 こと マリコ・ポーロ
画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。
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