前編・北条氏照への想い~傑僧「卜山禅師」
マリコ・ポーロ
医療、保険、介護、保育、ごみの収集、警察、保安、交通機関、公共機関、生活必需品製造販売、宅配関連などなどの現場にいらっしゃる方々、本当にありがとうございます。
~『八王子の名僧 卜山』卜山講~。表紙は八王子雲龍寺さん先代御住職が建立された、「楢の里」にある卜山像。~
♪ ズビスパー
パパパヤ~
違う…それは 左卜全。
とはいえこの歌は、学生運動や激増し始めた交通事故の被害者は老人や子供だという意味を込めたメッセージソングだったんですよね~。歌詞に「ゲバゲバ(ゲバは学生運動のこと)」とか「ジコジコ(事故)」とか入っていますでしょ。だから「たすけて~」なんですよね。
って、古くて皆の者は何のことだかトント分からないであろう💦
話を本題に。
▲卜山(ぼくざん)禅師 とは
名は「随翁舜悦」。号が「卜山」。
我らが北条氏照の師であります。そして、八王子に逃れてきた旧武田家臣達のマドンナ 松姫様を得度させた方でもあります(文末添付)。
八王子の楢原の農家に生まれ、出家したのは13才の時だそうです。塩山、京都五山、安来、博多、越前永平寺、三河、遠江などの名刹で修行をされ、35才の時に八王子に戻りました。
戻ってからは、八王子城の搦手に位置する 心源院 に住し、氏照の宗関寺はじめ、あまたのお寺を開山した大和尚です。
パパ氏康から小田原へ招かれ戒を授け、時の正親町天皇からは二度にわたって褒賞を拝受。「仏国普照禅師」の称号も賜っています。
記録によると、和尚は、老いてからは髪を剃らず、お髭は白く胸まで垂れ下がり、「眼光鋭く常に人を射竦めるようであった」そうです。
前にも書きましたが、戦国武将の子供たちには必ずお坊さんが師としてつきますよね。師は、仏道のみならず学問、そして人生も教えていきます。御曹司だからといって甘やかしたら、将来国を率いるその子達のためになりません。
源三クン(氏照)が卜山に師事したのは、大石に入った15-6才の頃。「眼光鋭く」「人を射竦めるよう」でないと、源三クンのような強気の少年(たぶん)は導いていけませぬわ。
しかし和尚はただ怖いだけなのではなく、雑り気の無い真心を持ち、語り口は穏やか。教えを継いで盛んにしたので「人々は、古仏の仲間として生まれてきたのだと称賛した」と記録に残っているそうです。
そして、なんと…
和尚は、身の丈7尺!
つまり2m超。
風魔小太郎も、ドびっくり~。
そのうえ、なんと…
120才 示寂!
実に法職にいらしたのは、107年間!
永正4年生まれの、寛永3年没。徳川家光の時代までご覧になったのですね。
見事です!
▲ 臨戦態勢の八王子城と卜山和尚
氏照開基の宗関寺を開いた7年後、卜山は再び心源院に戻り、氏照の求めにより住職となっています。67才の頃です。その16年後、遠江の名刹「石雲院」に輪番の住持として赴任しています。そこでも法話は大盛況だったそうですが、なんとその時83才!
ま、でも他界するまではあと37年もあるわけですから、まだ全然バリバリ現役。
それが天正17年のこと。八王子城が落城し、小田原北条が滅びるのは翌年夏のことになります。
記録によると、卜山は天正18年の1月初め、遠江石雲院を去り牛頭山、つまり宗関寺に戻っています。すでに本城はじめ、八王子城や北条支城群は臨戦態勢。徳川家康を先鋒とする西日本エリアの豊臣軍は、山中城や韮山城に向かって出立する頃です。卜山がいた遠江なぞは当然その真っただ中だったでしょう。
~現代の宗関寺土塁の上から~
和尚は遠江を去るに際して、
…(石雲院を)退去の理由がなにか有るわけではない…ただ退去はしなければならないのだ。竹林が川の流れを妨げないように、白雲は山が高くても妨げられずに飛んでゆく…
と自らの心境をおっしゃったと記録にはあります。
これはお坊さんとしての言葉であって、本当の気持ちは、前年11月に秀吉から宣戦布告された北条や八王子や氏照のことが心配で戻ることにしたのではないかな~と思ったりもします。
卜山は、八王子に戻る道中に小田原に寄って氏照に会ったでしょうか。
氏照は1月17日に猪俣へ「小田原城の大普請に大わらわで、秀吉体制を固めるために指揮をとっている」と手紙を出していますから、体調が悪いとはいえまだ病に伏してはいなかったはずです。
会えていたらいいな~と思います。
▲ 八王子城落城と卜山和尚
宗関寺の記録には、八王子戦の真っ最中の中山勘解由と卜山の話が伝わっていますが、このあたりは私には良くわかりません。
ただ、寺は「城と一緒に兵火を被って焼失した」とあります。卜山和尚はいったんどこかへ避難していたのでしょう。
▲ 氏照が死してのちの卜山和尚と、氏照への想い、そして氏邦のこと
明日に続く…
🍸 これほどの大和尚なのに、卜山和尚についての記録はほとんど無いそうです。以上は、宗関寺の『卜山大和尚の行実』と『遺誡』を元に「卜山講」の方達が出版した『八王子の名僧 卜山』を参考にさせていただきました。
卜山和尚の教えにご興味ある方は是非そちらをご覧くだされませ。
🐎 卜山和尚と心源院を書いた記事の一部です。松姫様のことも。
「北条氏照と、八王子城の神や仏 その1」
「北条氏照と、八王子城の神や仏 その2」
「武田遺臣のマドンナ 「松姫さま」」
「麗しき、武田の「松姫さま御坐像」」
「檜原の残影、横地監物と武田の松姫」
萩真尼 こと マリコ・ポーロ
画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。
| 固定リンク
「00.八王子城と北条氏照」カテゴリの記事
- 一昨日の「八王子城発掘調査」のお詫びと訂正(2020.12.03)
- 浴室だった?~八王子城の発掘調査状況(2020.11)(2020.12.01)
- 八王子城発掘調査始まっています!(2020.11)(2020.11.14)
- 滝山城 講演会「上方の儀に付き、際限なき御用に取乱れ候」2020.11(2020.10.23)
- その④~北条氏照を 介錯 した「伊勢大和守」(2020.10.04)
コメント