今日6月25日、津久井城開城す
マリコ・ポーロ
医療、保険、介護、保育、ごみの収集、警察、保安、交通機関、公共機関、生活必需品製造販売、宅配関連などなどの現場にいらっしゃる方々、本当にありがとうございます。
~城から眼下に望むのは現在の津久井ダム、かつての相模川である。~
内藤氏の「津久井城」はかつては甲斐への最前線の城として、小田原北条終焉まで重要な支城のひとつだった。
天正18年4月、津久井衆は中郡白根に駐屯していた豊臣勢と一戦に及ぶも、6月25日、徳川勢の本多、平岩、鳥居らに攻められ開城する。
~居館跡で行われた「開城祭」でのワンシーン~
津久井はそれまで北条と武田の両方の支配をうけていました。武田滅亡後は北条下にいましたが、それ以前より北条の方ではかなりの貫高を得ていたようです。
しかし北条のコントロールはなかなか効かなかったようで、本城から山角殿が見張り?お目付け役?として派遣されています。
最後に城を守った綱秀(小田原にいたとの説もあり)は戦後消息不明だそうですが、息子の直行は本城小田原に詰めています。北条氏直に従って高野山へ随行し、許された後は前田へ仕えることとなります。
加賀前田…鉢形の北条氏邦と一緒だね。
そうそう、津久井城で狼煙をあげて八王子城から見えるかどうか、以前(今もかな?)やってみたことがあります。私は行かれませんでしたが、八王子城の松木曲輪からシッカリ見えた写真をいただきました。
ご許可を得ていないのでここにアップできないのが残念です。
津久井内藤家については不明なこともまだあり、マリコ・ポーロにはとても調べきれまへん。現代の津久井城では「津久井城開城記念の日」はじめ様々なイベントが盛んです。また、城跡からはたくさんの遺構が出てきています。
こちらをご覧くださいませ。→ 津久井城ホームページ
🐎 北条&武田師匠である武将さん達が出陣する合戦劇を観戦した時の従軍レポートです。しばらく行ってないな~。懐かしいです。
「報告!津久井城開城記念~攻防戦(2012)」
「第2回 津久井城開城祭~合戦劇、従軍レポートでござる(2013)」
萩真尼 こと マリコ・ポーロ
画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。
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