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2020年7月21日 (火)

北条氏直~高野山から大阪出仕まで

マリコ・ポーロ

大雨の被害がこれ以上でませんように…。
地震も多いです。皆様、防災と、ウィルスへの用心は怠りのう。


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~天正19年8月19日、氏直は大阪城にて秀吉と対面し知行を拝領する~


天正18年7月。小田原北条は、日本中の戦国武将に見届けられながら百年の歴史に幕を下ろす。当主氏直は家臣達への主従関係の解約書を書き、同月21日、高野山へ向けて旅立った。

「みな、それぞれ思う道を行ってくれ…」


旧暦7月21日、氏直たちが高野山に向けて旅立つ日が今年もきました。

発刊されたばかりの『北条氏直』(戎光祥出版)をちょうど読んでいることから、今年の7月21日のブログはそちらを参考に、高野山蟄居から秀吉に出仕するまでの氏直をあらためて辿ってみました。


主に参考にさせていただいたのは、先のブログ記事「7月5日 北条氏直は降った」と同じく、『北条氏直と高室院文書』(座間美都治)です。

同論集の「序」で黒田基樹氏が書いてらっしゃいますが、小田原合戦後の氏直のことを具体的に検討したものとしては、この1965年に書かれた座間氏の論考がほとんど唯一の成果となっているそうです。


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~小田原幸田口の彼岸花~


(天正18年)
▲7月21日 氏直一行、高野山に向けて旅立つ
・御一家衆、側近など家臣は約30名、総勢約300名
・付き添いは、家康の重臣である榊原康政


▲ 8月12日 
高野山高室院「小田原坊」着


▲ 11月10日 
高野山麓の天野(和歌山県伊都郡三好村)へ移る
・これは冬の高野山の寒さをおもんぱかった秀吉の意向


白洲正子が、私の大好きな『かくれ里』にこの「天野」のことを書いています。

…「天野」の名にふさわしい天の一角に開けた広大な野原であった。もしかすると高天原も、こういう地形のところを いったのかも知れない…ずいぶん方々旅をしたが、こんなに閑でうっとりするような山村を私は知らない…できることならここに隠居したい。桃源郷とは正にこういう所をいうのだろう…


天野は標高450m。八王子城と同じぐらいですな。高野山のお寺があるあたりは標高約800m。随分と寒さはやわらぐでしょう。

良い所らしくてホッとしました。マリコ・ポーロがホッとしてもどうでも関係ないんですが。


秀吉は氏直たちに対し扶持を与え衣服や酒茶なども届け、一応は気を遣っています。

高室院も、北条家とは宗瑞以来の長い付き合いであり、歴代住職は相模の出身が多いそうです。金子の都合までもしたりと親身に世話をしてくれています。


また、氏直やその側近たちが蟄居中に高野山や大阪から出した、寒いから囲炉裏と炬燵が欲しいとか、カネオクレ とか、様々な御礼とかとかの文書は十数遍残ってるそうです(原本は無し、すべて写し)。

この間、家康殿が中心となって氏直たちの赦免について秀吉に様々働きかけてくださり(ありがとうございます)、


(天正19年)
▲ 2月7日 ついに秀吉のOKが出る


▲ 春 
大阪泉南(岸和田市)の「興応寺」に移る
・興応寺は今は無く、地図を見ても見つけられなかったので、数年前に市に問い合わせさせていただいたが、ついに分からなかった。


▲ 5月9日 
大阪の織田信勝の屋敷跡へ落ち着く


▲ 5月12日 
氏直はこの日付の書状から「見性斎」を称する


▲ 7月21日
高野山高室院へ「誰か」の供養を依頼する
・座間氏はこれを、7月11日が一周忌だった父氏政と伯父氏照の供養ではないかと書いてらっしゃる。名前を書くのを憚ってのものだろうか?と。


▲ 8月19日
秀吉に拝謁し知行を拝領、秀吉の旗本家臣となることになる

また、その時に翌年の朝鮮出兵も命ぜられる


▲ 8月24日
高野山高室院へ持仏の五躰尊の祈念を請う
・来春の唐入り後は生死の程も分からないゆえと。


▲ 8月27日
小田原から督姫一行が到着

ふたたび会いまみえることが出来て良かったね!
が、それも束の間…


▲ 10月下旬あたりから
疱瘡を患う


▲ 11月4日
逝去
享年30才


天正14年あたりから特に18・19年、氏規さんは大活躍ですね。氏規と家康の幼少の頃からの繋がりがあったからこそ、北条はその後続いたともいえます。

そして、

何度も書いており恐縮ですが、氏直の弟氏房含め高野山組は早世する人が多かったです。

惜しかったね。氏直さんは家康の婿殿ですもの、近々訪れる皆の未来は非常に明るかったのに…。


🐎 以下、7月21日と高野山あたりのことを書いた記事の一部です。よろしくば。

「それからの小田原北条一族 2010」
「今日7月21日(旧暦)、北条一族高野山へ 2011」
「今日7月21日、北条氏直は高野山へ旅立つ 2015」

「北条一族の高野山 3 「小田原坊」」

「江戸時代の北条家「狭山藩邸跡」」
「北条氏規の大阪の菩提寺」

「北条氏直の正室「督姫」の母の墓」

「北条家臣 桜井武兵衛さん、はしりめくる!」
「北条氏直、最後の当主の 「最後の朱印状」」

「江戸時代の北条家、東京の菩提寺」
「北条家 下屋敷の「北条坂」」

 

萩真尼 こと マリコ・ポーロ

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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