その②~北条氏照を 介錯 した「伊勢大和守」
マリコ・ポーロ
~前回の氏直の文書を使った「籠城戦!」もですが、小田原うまいねえ(小田原城公式HPから無料ダウンロードできる)。スタッフの方達のみ缶バッヂをされているのも、いいにゃ~。~
前回、『北条氏康の子供たち』(宮帯出版)の 則竹雄一氏「北条氏照」にある 北条氏照を介錯した「伊勢大和守」について書きました。
それは、家康の家臣石川忠総(大久保忠隣の息子)が残した『石川忠総留書』にあるのですが、なにを調べても「伊勢大和守」という人物が見当たりません。
こりゃ、誰?と書いたところ、ご興味を持ってくださった方がいらっしゃり、矢文や投げ文にて教えてくださいました。皆様、かたじけのうござるぅ💧
まずは、『小田原衆所領役帳』にある、「太和(大和殿)」の子か孫がそうではないかとのことなのです。
『新編埼玉県史史料編』掲載の役帳の、太和殿の注意書きには「晴統」とあるそうです(『平塚市史資料編』にも同じ注意書きが添えられているようなので、注意書きはどこのどれも同じなのかな?)。
所領役帳は見たかったのですが図書館に行けずにいたので、とても助かりました。ありがとうございます!
晴統とは、大和晴統のことです。
晴統殿は、宗瑞の代からの、二代氏綱の京都御奉公衆のひとりで、冷泉為和の歌会などの記録にも名前が出ているのですね(『戦国北条氏五代の盛衰』下山治久著)。
ちなみに、ほかの奉公衆には伊勢家一族の伊勢貞辰や伊勢貞就、小笠原さんなどがいます。
しかし、大和氏の大和晴統と伊勢氏との繋がりは今のところ私には分かりません。
『室町幕臣の東下り』米原正義著に、「(大和氏は)伊勢備中守や兵庫頭と同じく伊勢平氏の流れをくむ」とあるように、遥か先祖で繋がるのか?はたまた、京都御奉公衆としていつも伊勢家の面々と行動を共にしていたので(たぶん)、『留書』を書いた石川殿が伊勢家の人だと思いこんでいたのか?
そこで、「留書」を書いた石川殿についてチト見てみました。
石川殿は天正10年生まれ。
へっ??
小田原北条攻めの時、石川殿はなんと8才(満)ではないですか。
ということは、小田原北条については自分が小田原攻めに参加したり、直接かかわったわけではなく、パパやジジや親族や家臣などの大人たちから聞いた話なのだね。
さよか~
とすると、石川殿(または石川殿に伝えた人達)の記憶違いということも充分 ありえ~る、アリエ~ル。
「伊勢大和守」について他に何か書かれた本がないかと、都立中央図書館の蔵書ネットで検索しても「該当するものがありまへん」です。
これは、「伊勢大和守」から調べるのは難しそう。
伊勢大和守=大和晴統の子・孫・甥
と仮定して、大和氏の某が氏照を介錯した可能性があるかないかから調べるしかないですかね。
『所領役帳』は国会図書館のデジタルで見ましたが原本(の写し)なので、よ、よ、読めん💦。現代語訳のものが見たいです。
また、下山先生の『後北条氏家臣団人名辞典』も見たいです。データベースに索引だけありますが、見ると大和晴統殿ありますねえ。どうも、晴統殿は「大和守」のような、違うような…。でも、その息子だか孫だか甥だかのことはデータベースからは分かりません。
しかし、公共交通機関を仕事で使っている方々には申し訳ないですが、東京はまた感染者が増えていて図書館に行くのを躊躇っており、手持ちの本類は乏しく、現況ではこれ以上は調べられません。徒歩30分位で行ける我が自治体の図書館は、けっこう大きいのですが、これらの本は置いてないんです。
諸先生方が調べてくださって本になったものを、ワインでも飲みながら読みたい。
な~んて。
それにしても、北条氏照を介錯した人について、ほぼ全ての本が「氏政と同じく氏規」としていることにも、我らが氏照様を介錯した人物が分からないということにも、
ドびっくり~~
(*_*)
なり。
マリコ・ポーロ こと 萩真尼
画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。
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