八幡様も坂東発祥の神社ではなかった?~⑥大河「太平記」を観ていて
マリコ・ポーロ
医療、保険、介護、保育、ごみの収集、警察、保安、交通機関、公共機関、生活必需品製造販売、宅配関連などなどの現場にいらっしゃる方々、本当にありがとうございます。
~多摩川に日が沈む。「田園調布八幡神社」創建は鎌倉時代中期?鳥居の先が多摩川(9年ぐらい前にお詣りした時に撮った)。~
南無八幡だいぼさーつ!
丹波 篠村八幡宮。太刀を掲げ、高らかに北条討伐を宣言する尊氏様。
大河「太平記」も気が付けばすでに 20話。
再放送が始まった時、よし!毎週の放映に合わせてなにかしら書こう!と決めたものの、何週分かまとめて録画を観ることがあったり、なにより、この時代には(も)詳しくないため調べることが多く、マリコ・ポーロにはチト無理のよう💦
さて…
尊氏様が唱える「南無八幡大菩薩」で、思い出しました。
とある、由緒の古い八幡様(田園調布ではにゃい)の説明板を読んでいて、目からミツウロコだったことがあります。
時を遡ること長元の頃(平安時代中頃)。
その八幡神社は、上総下総で起った平忠常の乱を治めるために源頼信がその地に宿営した時に八幡大神を奉斎し、戦勝祈願をしたのが始まりとありました。それは源氏と八幡神の、「坂東への第一歩」であったようです。
源頼信って誰?とスマホで検索したら、河内源氏の祖だそうな。
源氏は坂東の武士の象徴、みたいなイメージがあります。その氏神であり坂東にあまたある八幡様は、つまりは西から勧請された神社だったのですね。源氏は元々は天皇家から出ているから、考えてみればそりゃそうなのですが…。
その土地を侵略する場合、自家や一族が信仰する神社をどんどん置いてゆくと言われます。江戸人の代表のような我らが太田道灌も、その手法を使って豊嶋氏を追いつめていきました。
八幡神もそうなのかどうかは私には分かりません。ただ、前々回のブログ「峰岸純夫著『中世鎌倉盛衰草紙』を読みました」に、
関東中央部からは戦国大名権力を生み出せなかった。北条・上杉・武田などの関東の外に成長した戦国大名たちの草刈り場… とある
と書きました。もしかしたら坂東の外から入ってきた侵略者たちによって、坂東土着の神は追いやられてしまったのでしょうか。
もしそうなら、それよりもっと昔の坂東の神様ってなんなのだろう?図書館に行けないのでネットで探してみると、神について書かれたものは厖大で様々でとても知り得ません。
稲荷神も秦氏で京都ですし、天神様も、諏訪神社も、恵比寿様も坂東発祥ではないでしょう。そもそも、古事記の神様もほとんどが 西 発祥。源氏ではなく平氏を考えても桓武天皇で、西から始まった一族。千葉氏の妙見?いや、千葉氏も平氏か。
坂東のもっと古い氏族の氏神を探せば分かるかな…。鹿島神社?香取神社? 平将門?いや、アニミズム!?
我が家のエリアの氏神様も八幡様です。坂東の地の氏神様なのに坂東発祥の神様じゃなかったことに今更気が付いてしまいましたが、これからも尊崇してまいりますよぉ。
南無八幡大菩薩!
疫病退散!
注)神様のことは難し過ぎるため、これ以上は深く突き詰めて考えることはしないと思いますので専門的なコメントにはお返事しかねる…いえ、ワテには出来ないと思います。←すごいエクスキューズ💦
🍸 大河「太平記」の記事
「①大河「太平記 父と子」と、北条高時のこと」
「②大河「太平記 芽生え」と、足利尊氏の鎌倉屋敷はどこにあったのか?」
「③大河「太平記~風雲児」と、尊氏の早世した兄&討たれた長男竹若丸」
「④ 大河「太平記~帝ご謀反」と、北条家はなぜ将軍にならなかったのか?」
「⑨大河「太平記~宿命の子」と、金沢氏の称名寺」
「新田義貞の鎌倉滅亡の日を歩く」
萩真尼 こと マリコ・ポーロ
画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。
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