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2020年8月11日 (火)

峰岸純夫著『中世鎌倉盛衰草紙』を読みました

マリコ・ポーロ

医療、保険、介護、保育、ごみの収集、警察、保安、交通機関、公共機関、生活必需品製造販売、宅配関連、クリーニング店などなどの現場にいらっしゃる方々、本当にありがとうございます。


Img20171115_171538
~アクリル板が反射し見づらくて恐縮。3代北条泰時邸の遺構が保存され上から見られるようになっている。若宮大路の執権小町亭跡に建つ、中世鎌倉ファン(含むワテ)が立ち寄る鎌倉武士グッズ「侍気分」さん店前の床。M's Ark Kamakuraビル 内。また、大路向いの Tully's は北条時房(義時弟/初代連署)の屋敷跡で、発掘された遺物を見ながらの一服。~


さて、前回は峰岸先生の新刊の、印象的な挿絵についてご紹介しました。


読み始めました。

第一部は頼朝から宗瑞までが、鎌倉の素っ晴らしく美しい写真(原田寛氏)や水彩画(矢野元晴氏)と共に時系列に進み、とても読み易く、行きた~い、歩きた~いと欲求不満にさせられます。

第二部は、も少しピンポイント&安達氏のこと。


目からミツウロコだったのが、
関東中央部からは戦国大名権力を生み出せなかった。北条・上杉・武田などの関東の外に成長した戦国大名たちの草刈り場…


たしかに~。小田原北条は元は関西の人だし、あらたに関東を支配したのも三河の人だもの。恥ずかしながら、今までそこには気が付きませんでした。

太田道灌はアカンかったし。

道灌状から、旧来の体制の枠内に止まった彼の限界を見ることができる
と先生は書いてらっしゃいました。


「氏綱の鶴岡八幡宮再建と氏康の「大鳥居跡」」
「北条氏綱が鶴岡八幡宮へ奉納した「太刀」」

「①大河「太平記~父と子」と、北条高時のこと」
「②大河「太平記~芽生え」と、足利尊氏の鎌倉屋敷はどこにあったのか?」
「③大河「太平記~風雲児」と、尊氏の早世した兄&討たれた長男竹若丸」
「④ 大河「太平記~帝ご謀反」と、北条家はなぜ将軍にならなかったのか?」
「⑨大河「太平記~宿命の子」と、金沢氏の称名寺」

「非公開 「英勝院」の御廟内部~鎌倉」


萩真尼 こと マリコ・ポーロ

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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