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2020年9月12日 (土)

北条高時の母の伊豆韮山~⑦大河「太平記」を観ていて

 マリコ・ポーロ

医療、保険、介護、保育、ごみの収集、警察、保安、交通機関、公共機関、生活必需品製造販売、宅配関連などなどの現場にいらっしゃる方々、本当にありがとうございます。


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~池谷初恵著『鎌倉幕府草創の地 伊豆韮山の中世遺跡群』2010(新泉社)


韮山は我ら小田原北条ファンの「聖地」である。

しかし、韮山は小田原北条にとってだけではなく、鎌倉幕府を開いた頼朝の源氏にとっても、その後の執権政治を行った前の北条にとっても「聖地」だった。


現代の私達からしたら、伊豆韮山は伊豆半島の付け根で、歴史と仏の里であり、ある日突然畑の真ん中から温泉が湧き出た風光明媚な観光地のイメージだ。そんな韮山が中世、なぜ前北条の拠点となったのだろうか?

当時の伊豆の国府は三島にあった。韮山には国府三島と半島を繋いだ下田街道が通る。また、狩野川という駿河湾にすぐ繋がる狩野川も流れていた。つまり、韮山は陸運と水運の交通の要所だったのである。


(小田原北条にとっての「聖地韮山」のことはたっぷりこってり今までブログに書いてきたので割愛しますが、文末に少し添付いたしました。ご覧くださいましたら、いと嬉し。)


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~前の北条氏館跡&堀越公方屋敷跡~


さて、大河「太平記」第22回は「鎌倉炎上」。ついに鎌倉幕府の終焉を向かえましたね。レンタルビデオで何度も観て、東勝寺跡にも何度詣でたことか…。なんだか月並みな言い方で恥ずかしいですが、本当にこの大河は名作中の名作ですよね~。

小田原北条が大河になる時もこのぐらいのクオリティでお願いしたいです。いつになるか分からぬが、それはコロナ終息より遠い道のり…。


何度も観ているのに今回初めて思ったことがあります。高時の母、覚海尼はその後どうなったのだろう?

伊豆韮山で晩年を過ごしたこと以外ぜんぜん知らないので、以前に小田原北条や堀越公方のことを読みたくて買った冒頭写真の本『鎌倉幕府草創の地 伊豆韮山の中世遺跡群』に何か書かれていたことを思い出し開いてみました。


▲ 実家:安達氏
▲ 実名:不明
▲ 法名:覚海円成
▲ 享年:不明(60代位 カ?)


▲ ポジション:側室

側室だったんだ!(*_*)
沢たまきさんの貫禄💦から正室だとばかり思いこんでいました。

貞時の正室は、北条得宗家の人なんですってね。安達が貞時に対して謀反を起こし、許された後に安達家庶流の娘であった覚海尼が嫁がされたんですってね。

戦乱の時代にはよくあることですが、覚海尼は、一族の仇に嫁いだのですね。


息子の高時さんが24才で病のために執権を退いたあとの後継者問題では長崎殿と組んで騒動を起こし、これで、先の称名寺のブログ記事に書いたその時の金沢貞顕殿が執権を降りることになったのです。

ドラマでは、しょっちゅう、いきなり、高時さんの部屋へ現われます。「山内禅尼」と呼ばれていたので山ノ内にお住まいだったのでしょうが、それは、貞時亡き後の出家後のことかと思っていました。側室だったからハナから山ノ内にいらしたのですかね?


▲ 鎌倉炎上の後

それが、伊豆韮山です。

堀越公方の屋敷があったところは、以前は前北条家の屋敷がありました。そこに、覚海円成尼と一門ゆかりの女人のために「円成寺」が建立されたのだそうです。


円成寺を安堵するよう尊氏さまに命じたのは、なんと…

後醍醐天皇!


御上~~、あなたって人は…


そして、尊氏様の弟の直義さんも円成寺に寄進をしているのです。
へえ~~。鎌倉北条を滅ぼした、みんなの複雑な心境が分かるような気がしますよね~。


覚海尼は、残された一門の女人達を引き連れて寺へ移ります。


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覚海尼は夢窓疎石を師と仰いでいたそうで、師と交わした和歌が残っています(『正覚国師集』)。


相州高時禅門の母儀、伊豆の北条にすみける時、よみてたてまつられける

あらましに
まつらん山ぢ たえね ただ
そむかずとても
夢の世の中

此歌は、世をそむく我があらましの行末にいかなる山のかねてまつらん、とよみ給ひたりしを思ひ出でられたるにや


御返し

夢の世と
思ふうき世をなほすてて
山にもあらぬ
山にかくれよ


「あらまし」とは、いわゆる物事のあらまし の あらまし ですよね。

険しい山道ですらすでに途絶えてしまった。自らあえて世にそむかずとも、今やこの世のことは夢の中のよう…と覚海尼。

それなら、夢のようだと思う浮き世をなおも捨てて、山にもあらぬ山の中へとお隠れくだされ…と師。

マリコ・ポーロ意訳。違っていたらゴメンナチャイ覚海尼様、夢窓疎石様。


ご興味ある方は、『鎌倉幕府草創の地』を是非!各時代の発掘調査のことがたくさん載っています。


🍸 大河「太平記」の記事

「大河「太平記」の再放送が始まりますね!」

「北条高時のこと~①大河「太平記」を観ていて」
「足利尊氏の鎌倉屋敷はどこにあったのか?~②大河「太平記」を観ていて」
「尊氏の早世した兄&討たれた長男竹若丸~③大河「太平記」を観ていて」

「北条家はなぜ将軍にならなかったのか?~④大河「太平記」を観ていて
「金沢氏の称名寺~⑤大河「太平記」を観ていて
「八幡様も坂東発祥の神社ではなかった?~⑥大河「太平記」を観ていて」

「新田義貞の鎌倉滅亡の日を歩く」


🍸 小田原北条にとっての聖地韮山についてたくさん書いたブログ記事の一部です

「小田原北条の始まりを告げた城 「韮山城」 シンポジウム」
「早雲・秀吉の兵火に耐えた五体の運慶仏~願成就院」

「北条氏政が謙信や信長にプレゼントした、韮山の江川酒」
「後北条の女領主、伊豆の山木大方」


「北条幻庵の伊豆の屋敷と菩提寺「金龍院」~シリーズ北条五代の娘たち「伊勢宗瑞の娘たち」」
「‘元祖 義’ 伊勢新九郎の韮山へ」

「前北条と後北条の 「伊豆 修禅寺」
「信仰の里~中伊豆かんなみ「仏の里美術館」


萩真尼 こと マリコ・ポーロ

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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