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2020年10月 4日 (日)

その④~北条氏照を 介錯 した「伊勢大和守」

マリコ・ポーロ


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~氏政・氏照が切腹した侍医田村安栖の屋敷があったあたり~


我らが北条氏照を介錯してくださったのは 伊勢大和守 だと書かれている『石川忠総留書』。

伊勢大和守 とは初耳で、誰なのかが気になって気になってどうしようもなく、自主的逼塞を解除。図書館へ行き 『石川忠総留書』 を見てきました。


結論を申せば…

先のブログに書いた、『北条氏康の娘たち』での則竹雄一氏の引用以外は何も得られませんでした。
(ノД`)


図書館で見たのは3種類。

八王子市史

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~超分厚い本で、肝心な箇所が継ぎ目のため上手くコピーが取れず申し訳ない。~


『小田原落居之覚』
…氏政ヲハ美濃守殿介錯、氏輝ヲハ伊勢大和守殿介錯、太閤ヨリ御検使ハ…

先のブログにも書きましたが、則竹氏の本はこれが引用されています。


そうは書かれてはいますが、実際に見たかったのです。

文書史料によくあるじゃあないですか。文章の脇に()で俗名とか別名とか官途名とか受領名とか後から添書きされているものが(なんというのでしたっけ?)。そういうのがあると思ったのです。そこから、謎の 伊勢大和守 の手掛かりがつかめるのではないかと思ったのです。

が、写真の通り書かれてはいませんでした…。


② 新編埼玉県史

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~またまた見づらくて申し訳ない~


図書館で『石川忠総留書』で蔵書検索したところ、国会図書館や公文書館のデジタルと埼玉県史だけににあるのを見つけました。

国会図書館や公文書館は原本なので、マリコ・ポーロにはとても読めまへん。埼玉県史を見ました。ところが、『小田原落居之覚』ではないものでした。


…七月小田原(相模)明渡、氏政(北條)・氏照(北條)切腹、氏直(北條)使入高野山(紀伊)、尾州内府(織田信雄)左遷…

こちらは()の添書がありますねえ。尾州内府(織田信雄)←こういうのが、伊勢大和守 にも書かれていてほしかった~。。


③ 続群書類従

石川殿の留書ではないですが、一応こちらでも伊勢氏の系図を見てみました。

何度も見ました。石川殿が留書を書いたのは江戸時代なので、もしかしたら大和守という受領名はその頃のものかもしれない(江戸時代なのでそれはないとは思いますが)と、そこまで見ましたが 伊勢大和守 という人はいませんでした。


うーむ。

またまた前に書いた繰り返しですが、石川忠総は小田原攻めの時は子供でした。留書はもっと後に書かれたものです。

伊勢大和守 が氏照の介錯をしたということは、やっぱり石川殿の聞き間違え、書き間違え。または、石川殿に伝えた人の記憶違い、言い間違えではないですかねえ。

だって、八王子市史にしても、「旧」には載っておれど、「新」には載っていないのですよ。編纂に携わった方が、これは信憑性に欠けるからと掲載をやめたのかもしれません。


 ✑ そもそも!
「氏政と氏照の二人を介錯したのは氏規だ」とは何に書かれていたのか?

それは『北条記』と『異本小田原記』ぐらいにしか見つけられません。
…兄弟自害し給て後、に(か)いしゃくは、舎弟美濃守氏規、御首を討落、即自害に及所を、井伊兵部走り寄りて…(北条記)


手持ちの『新八王子市史 資料編』と『北条氏照文書集』をあらためて見てみました。二人の自害のことは関白殿下はじめ色々な人が書いていますが、介錯人については触れられていないですねえ。誰かの書状などに書かれていないのかなぁ…。


と、氏照ファンにとっては重大と思われるのに、珍しくお一人しか反応がないにもかかわらずシツコク書いていて恐縮でござる。

違うなら違うと分かるまで、まだまだ探しますよ~。


「その①~北条氏照を 介錯 した「伊勢大和守」」
「その②~北条氏照を 介錯 した「伊勢大和守」」
「その③~北条氏照を 介錯 した「伊勢大和守」」


マリコ・ポーロ こと 萩真尼

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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