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2020年12月30日 (水)

福島の人は北畠顕家が好き?~⑪大河「太平記」を観ていて

マリコ・ポーロ

本年もご覧くださいましてありがとうございました。心より感謝申し上げます。
来年は良い年になりますよう、切に祈ります。


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~鎌倉時代後期創建と伝わる「桑折寺」山門は、桑折西山城から移築された室町時代のものだそうだ。~


21才…。
建武4年8月11日、北畠顕家は再び霊山城を出発。延元2年5月22日、和泉国石津(現在の堺)で相果てる。


何度か書いていますが、ひとつの土地のヒーローの認識は、その土地に暮らす人達と全国区とでは違うことがあります。小田原人の二宮尊徳(金次郎)、米沢人の上杉鷹山、萩人の吉田松蔭、大阪人の真田幸村…。

東北人は、そりゃあ伊達政宗に決まってると思いきや、どうやら北畠顕家のようですね。東北といっても広いので県や地域によっても違うでしょうが、私の片方の親の実家でもあり今でも近しい親戚達がいる福島の伊達や信夫、つまり旧信達あたりは、伊達家発祥の地であるにもかかわらず、ヒーローは北畠顕家のようなのです。


なぜ北畠顕家?

江戸時代に松平さんが霊山神社を祀り地元で尊崇されてきたからなのか、それとも戦前教育の影響なのか…。


北畠顕家は後醍醐天皇(上皇)の命により福島と京との長~い移動距離を行ったり来たりさせられ、連戦に次ぐ連戦。最後は大阪にて討死。ドラマを観ていても、出てくるたびに、悲しい…。

伊達桑折が実家だった亡親は特に歴史が好きというわけではありませんでしたが、大河「炎立つ」「伊達政宗」そして「太平記」を日曜と土曜の週2回必ず観ていました。「炎立つ」と「伊達政宗」は納得ですが、「太平記」はちょっと不思議でした。聞くと「北畠顕家だよ。やっぱり東北は北畠顕家なんだよ」と申していましたわ。


冒頭の写真「桑折寺(こうりんじ)」は桑折氏の菩提寺で、私事で恐縮ですが親の実家の菩提寺でもあります。お寺は顕家殿とのゆかりはないようだけど、顕家殿が伊達に赴いた時にはすでにあったのだな~と、再放送を観ていて思い出しました。


顕家は和泉で負けはしましたが、どうしてこんなに強かったのか…?

また、南朝方は「一致団結して帝を守り尊氏様に相対していた」と昔は思っていたのですが、全然違うようですね。


私の北畠顕家像は親の受け売りだけですが、かぞえ 21才 で果てた美少年→美青年の貴公子というイメージでした。

嗚呼それなのに、それなのに。なんと妻子がおったとな!ちょっとイメージがガラガラと(勝手に腐っていたマリコ・ポーロ💦)。


亀田俊和著『南朝の真実』を前に読みましたが、この後も、パパ親房卿の葛藤は南朝の総帥となりながらも続いていくのですね。


🍸 大河「太平記」の記事

「北条高時のこと~①大河「太平記」を観ていて」
「足利尊氏の鎌倉屋敷はどこにあったのか?~②大河「太平記」を観ていて」
「尊氏の早世した兄と討たれた長男竹若丸~③大河「太平記」を観ていて」

「北条家はなぜ将軍にならなかったのか?~④大河「太平記」を観ていて
「金沢氏の称名寺~⑤大河「太平記」を観ていて
「八幡様も坂東発祥の神社ではなかった?~⑥大河「太平記」を観ていて」

「北条高時の母の伊豆韮山~⑦大河「太平記」を観ていて」
「新田義貞の正室のこと~⑧大河「太平記」を観ていて」

「新田義貞は里見からの養子だった~⑨大河「太平記」を観ていて」
「尊氏と執権赤橋の寺「浄光明寺」~⑩大河「太平記」を観ていて」

「新田義貞の鎌倉滅亡の日を歩く」


萩真尼 こと マリコ・ポーロ

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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