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2021年1月 6日 (水)

新田義貞のこと少しだけ~⑫大河「太平記」を観ていて

マリコ・ポーロ

医療介護はじめエッセンシャルワーカーの皆さま、ありがとうございます。本当に。

 

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~2021年は良い年になりますように。今年もよろしくお願い申し上げます。~


いかなる仕儀か、年末年始のブログが「南北朝見聞録」になってしまいました。このブログは小田原北条の見聞録なのに…?

先日、戎光祥さんが Twitter で行った「南北朝武将総選挙」の1位は、北畠顕家殿だったそうです。マリコ・ポーロ も顕家殿と尊氏様で悩みましたが、尊氏様に1票。


大河「太平記」。終盤に近づくにつれ、正成殿、顕家殿、義貞殿、後醍醐天皇(上皇)と果ててゆきトーンがだんだん暗くなってきました。

「太平記」もそうですが、「草燃える」「北条時宗」「花の乱」などなど、鎌倉・室町時代を描いたドラマは何故暗いのか。大河ドラマは人の一生を描くもの。後半は主要メンバーが次々と鬼籍に入り暗くなるのは仕方がないですが、それにしても鎌倉・室町は暗い!


身内で殺し合うからかな。でもそれなら戦国時代(戦国時代も室町時代といえばいえるが)もそうなのに、戦国時代のドラマはそんなに暗いと感じません。

むしろ、カッコエエ~みたいな爽快感を覚えたり、オレもやるぜーっ!(←何を?)とテンションが上がったりもします。鎌倉・室町時代は、舞台が京や鎌倉。狭いところで事が成されるから閉塞感があるのでしょうかねえ?以上、私感なり..




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~稲村ヶ崎~


前にも書きましたが、新田義貞を想うと、ただ「可哀想…」しかありません。

北条(前の)を倒し上野の棟梁となることぐらいが夢だった(たぶん💦)実直な坂東武者が、ひとつの全国区的な功をあげてしまったがために過大評価され、果ては見捨てられた…。後醍醐天皇は何度か義貞を都に呼び戻したのに義貞が応じなかったようではありますが、それでもそんな印象を持ってしまいます。


義貞の首は都大路を引き回され、さらし首となったそうです。

当時はそういうものだと理解してはいても、死してのちも可哀想…😢。


我らが旧八王子城を守る会の会長だった峰岸先生は、『新田義貞』(2005 吉川弘文館)で書いてらっしゃいます。

「『太平記』の作者にしてみれば、義貞の最期はその地位と活躍にふさわしい華々しいものとして描きたかったであろう。しかし…(略)…あっけない戦死を遂げてしまった。それ故、英雄物語としてのしめくくりが出来ないため、義貞の死に続いて延々と妻と勾当内侍の物語を描いて、その悲劇性を盛り上げようとしたのである。」
と。


義貞が表舞台にあったのはたったの6年。歌にも出てくるし物語や芝居で取り上げられることが多いので、なんだかもっと長い間活躍していたような気がしますが、享年38(37・39説あり)。若かったのだね。

国を出てから一度も帰ることはなく、皇子と三種神器を預けられ北陸で天皇を守って戦っていると思いきや、実は時代の中心から外れていて、遥か越前で果てる。ううぅ😢 可哀想…。


ちなみに戎光祥さんの総選挙で、新田義貞は高師直と同率5位でした。師直と同率では、義貞殿不服やろて。


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~隣の法蓮寺も含めた荏原氏館跡に建つという旗岡八幡神社。前を通るのは鎌倉街道。右側すぐにある荏原町駅の踏切を渡ると立会川(現在は暗渠)。~


新田義貞の子息義興の首塚だと伝わるものが、品川区の荏原にもあります。

首塚を訪ねたのは数年前のことですがブログに書くタイミングがありませんでした。ちょうど大河「太平記」の再放送で新田義貞の最期がオンエアされていたので子息の首塚のことを思い出しました。


その塚は、東急大井町線の荏原町駅近くにある庚申塔さんのあたりにあったようです。

というところで、次回の「新田義興と夫人の、品川区にあった塚」へ続く…


🍸 大河「太平記」関連の記事の一部です。

「新田義貞の鎌倉滅亡の日を歩く」

「北条高時のこと~①大河「太平記」を観ていて」
「足利尊氏の鎌倉屋敷はどこにあったのか?~②大河「太平記」を観ていて」
「尊氏の早世した兄と討たれた長男竹若丸~③大河「太平記」を観ていて」

「北条家はなぜ将軍にならなかったのか?~④大河「太平記」を観ていて
「金沢氏の称名寺~⑤大河「太平記」を観ていて
「八幡様も坂東発祥の神社ではなかった?~⑥大河「太平記」を観ていて」

「北条高時の母の伊豆韮山~⑦大河「太平記」を観ていて」
「新田義貞の正室のこと~⑧大河「太平記」を観ていて」
「新田義貞は里見からの養子だった~⑨大河「太平記」を観ていて」

「尊氏と執権赤橋の寺「浄光明寺」~⑩大河「太平記」を観ていて」
「福島の人は北畠顕家が好き?~⑪大河「太平記」を観ていて」

講演会「鑁阿寺と足利氏」金沢文庫にて(2014)


萩真尼 こと マリコ・ポーロ

画像は全てマリコ・ポーロが撮影しました。コメント欄をもうけております。公開させていただいてはおりませぬが、ご感想なりいただければ嬉しいです。

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