2013年2月13日 (水)

小田原城天守閣木造再建と、匠の技の継承

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さる2月11日に小田原で開かれた、小田原城天守閣を木造で再建する会のNPO法人創立総会を拝聴して参りました。

基調講演は、姫路城の昭和と平成の大改修の担当責任者である西村吉一氏でした。


以下、例によってすっごく長いゆえ、ゆるゆる読んでくだされませ。


当ブログでも何回か紹介させていただいておりますが、今、老朽化が進んだ小田原城天守閣は、耐震補強か建て替えかをせまられています。これは、小田天に限られたことではなく、全国の戦後に建ったコンクリート建造物に共通の案件でもあります。

小田原城天守閣の場合、耐震補強でも十数億円がかかるそうです。それなら、史料も残っていることだし、いっそ木造で当時(江戸後期)の姿で復元をしようではないか!

という、再建に向けての活動が、鈴廣さん・魚国さん・菜の花まんじゅうさんなどなど小田原の名店老舗の旦那衆達を筆頭に数年前から始まり、その活動がこたびNPO法人として認可がおりました。

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~挨拶されるカトケン市長・・ちゃうちゃう、加藤憲一市長~


▲ 会の名前は「みんなでお城をつくる会」

え?「天守閣を復元する会」じゃないの?と思われる方もいらっしゃると思います。

じゃないんですな、これが。


活動計画の発表によりますと・・・

1. ホンモノが活きづく街のシンボルとして、街づくりをつらぬく背景にする。
2. 伝統文化のシンボルとして、伝統文化、伝統工芸の継承、技術者交流の拠点にする。
3. 「観光立国日本」のシンボルとして、「誰もが行きたい城」にする。

だそうです。


つまりは、天守閣だけではなく、城址公園や周囲の城下町や借景の山や海をも含めた環境を保存整備した町起こし。

そして、ひとつの天守閣を復元するというプロジェクトにより、廃れゆく伝統の匠の技を存続し次代へつなげていこうという、小田原のためだけではない我が国の将来を見据えた素晴らしい理念のもとにすすめられる活動なんですな。


だから、会の名前が「小田原城天守閣を木造で再建する会」ではなく「みんなでお城をつくる会」であるのですね。「お城」とは広く深い意味なのだと、総会の説明を拝聴し、「そうかい・・」と納得しましたわ。coldsweats01sweat01

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~総会のお土産。焼印付きバター入りドラ焼き。by 菜の花まんじゅうさん。「マルcat、お城はつくれるのだよ。」~


▲ 匠の技の存続と継承

今回のマリコ・ポーロ的ツボは、なんと、名立たる棟梁方が列席されていたことでした!!まったく知らなかったので、大興奮 lovely

お馴染みの、小川三夫棟梁。
法隆寺といえばの、直井光男棟梁。
錦帯橋の、海老崎粂次棟梁。
ご先祖が忍城を築かれた(!)白根伸浩棟梁。
それから、
大洲城の木造復元を成された、伝統木構造の会会長の増田一真氏

もう、ハアハアものでございましょ。一緒に写真を撮っていただきたかったですが、さすがに勇気がありませんでした。

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~ご挨拶中の、平成の大棟梁・小川棟梁~


棟梁達のメッセージのポイントはみな同じです。若い職人達が腕をふるう場所がだんだんなくなっていて、職人が育たない現状を憂えて らっしゃいました。

これは、このブログを始めた当初の頃の輪島塗の記事で書いたと思いますが、輪島塗の塗師屋も同じことを嘆いてらっしゃいました。


昔のように大大名も大貴族もいない今、例えば外居(ほかい)とか衝立とか硯箱とか厨子棚や飾り棚などなどの調度品を作る機会がなくなっている。それは発注がないからで、職人さん達は、お椀やスプーンを作るか作家風の創作活動をしていることがほとんどになってしまっている。

お椀やスプーンは大事だし名人が作るお椀は素晴らしいし、創作活動もそれはそれでいいのだが(実は、いくないと思ってらっしゃるようだが)、でも、これでは漆芸の伝統技法は廃れてしまう。普段から腕を磨いておかないと、万が一そのようなものの発注がきた場合に、この日本に作れる人がいなくなってしまう。

せやから、自分が発注主となり今は誰も使う人がいなくてもそういうものを作り続けねばならない、と。

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~ご挨拶中の、同じく大棟梁・直井棟梁~


匠の技の継承のための「削ろう会」、「大工は木の芯を通した仕事を」、大工だけではなく「木」も育てる活動も大切などなど、大棟梁方は貴重なメッセージを一言で伝えてくださいました。

もっと伺いたかったです。本を持っていってサインしていただけばよかった・・・。


また、小田原城の銅門の復興を手がけた小田原の若き棟梁・芹沢氏と、若き左官の長田氏の言葉もよかったです。

「墨をうってきた建物を守るためには、墨をうつことが出来ない大工ではだめだ」
「このまま放っておいたら大工は絶滅する」
「若い職人にそういう機会がない」

などなど、大棟梁方のようにお話慣れはしていなかったですが、伝統技能を守ってゆく思いが熱く伝わってきました。

こういうの大好きなんです。うたれましたわweep


このプロジェクトには、日本中から将来の「匠」をめざす若い人達が集まり、腕を磨き、技術を継承する「職人学校」の設立という理想も含まれているそうですよ。

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~サプライズのアトラクション。永禄4年の上杉謙信の小田原攻めがモチーフ。~


▲ 天守の森

大棟梁や若き棟梁からも「木材が大事」とのお話がありましたが、姫路城修復の重鎮である西村先生も「木材の段取りを早急に」とおっしゃっていました。

それには「山の整備」が必要であり、そうすれば、風土に合わない外材 を使う必要もなくなると。


余談ですが、先生は、修復などの大作業の時は「遠巻きに見てほしい」とおっしゃっていました。昨今、そういう時はイベントなどをやって作業現場に近づくのが流行りのようだが、熱を入れて作業に従事している職人達の気をそらさないで欲しいと。

そうか・・・。
修復中のほうがかえってツボだ目がハートと考えていましたよぉ。職人さんや関係者の方達が修復している物は国宝とか重文ですものねえ。失敗したら何百年もの歴史がパー手(パー)命かけての作業ですわ。言われてみたらその通りですよね。


でも、見たいしsweat01、また、行政側やその史跡観光で商売をしている側にとっては、史跡修復の期間眠っているわけにはいかぬ。どこもかしこも、なんでもかんでも世の中複雑じゃのう。

せめて、作業を拝見する時は、風魔のようにこちらの気配を消して邪魔しないように静かに拝見しなきゃと尚一層に思いました。


ちなみに、西村先生はお城と話が出来るそうです。城内を歩いていて、どこか傷んでいるところに気が付かないで素通りしようとすると、「ちょっと待ちや!」とお城から呼び止められるそうですよ。

棟梁達もそうなんでしょうねえ。経験と愛情からくる、ローレンツ博士のソロモンの指輪のようなものを心に持ってらっしゃるのでしょう。


木材の話に戻りますが、これも大変なことです。

輪島塗屋で習いましたが、当然ですが木を切ってすぐには作業に取り掛かれません。漆器の場合は、使えるようになるまで原木は5-6年置きます。それから成形しますが、その状態でまた1-2年置きます。

木を育成するところから考えたら途方もない年月がかかります。木造りの醸し出す風格とはそういうとこにもあるのですねえ。


総会では、廃藩の時に小田原藩から借金のカタに譲られた? 「藩有林」を受け継いでらっしゃるという辻村氏のお話も伺えました。

その山林には、「天守台」「お小屋」「ご照覧場」など当時の名称がそちこちに今も残っているそうです。江戸時代からの樹齢三百年余りの木も数本あるそうで、辻村氏はその木のことをこうおっしゃいました。

「その時代の空気を吸っている木」


羨ましい木ですね。
私も、城跡や史跡を訪ねたときに樹齢の古い木があると必ず触れてみます。その時代を見ていた木だからです。氏照どのや土方さんが触ったかもしれないしねheart01

辻村氏も、何百年後のために木を残すための様々な活動もされています。


この会のプロジェクトには、木と森を育成するための「天守の森」の計画も含まれています。

あ、それから、西村先生は「地震で崩れない土台づくり」のお話もされました。


▲ アトラクションと懇親会

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~正面で小田原北条の家老衆筆頭・松田殿と古河公方・氏姫のコント?が繰り広げられているところへ、背後から近づく 上杉謙信!~

「運は天にあり・・・」


永禄4年、上杉謙信はここ小田原城を包囲し、「ワシに弾は当たらん」とのたもうたかどうかは知りませんが馬上盃で酒 bottle をあおりました。←見てたんかね

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~「この小田原はワシにおまかせあれいっ!」と小田原市長の目の前で豪語する、北条氏康殿~


結局、謙信くんは名にし負う堅固な名城「小田原城」を破ることは出来ず、司会者を拉致し(^^; 鎌倉での次のご予定のために小田原を後にしました。

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~想定外に列席者が多く、会議室の席の間を使った狭い空間での立ち回り。後ろの高そうな花瓶を壊したらどうしようとハラハラしただよ。~


おまつりでの合戦劇だと観戦者もノリノリで見てくれます。でも、この日はシリアスな発足式でのアトラクションでした。シークレットのサプライズだったので最初は「なに?なに?何が始まったの?」という雰囲気。

その上、市長、市議会議員、国会議員、昭和と平成の大棟梁方、老舗名店の旦那衆の前でのパフォーマンス。

その上のその上、いつものような本格的な歴史考証に基づく芝居とは違い、お笑い要素を含んだアトラクション。さぞや、やりにくかったでしょうねえ。

しかし、長い台詞もバッチリ決まり、よかったよかった。


前日入りでのリハーサル。ボランティアですから宿泊費とか交通費とか2日間に渡る駐車場代とか、自腹で大変だったでしょう。お疲れ様でしたm(_ _)m。でも、お昼は鈴廣さんの豪華なお弁当fish がでたそうですよ~♪。

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~明治3年に廃城となり、昭和35年にコンクリート造りで復興した小田原城天守閣と、春の相模の海。~


▲ 実現に向けての数々のハードル

長いレポートになっていますが、とはいえ、天守閣の木造再建はそりゃあ簡単なものではありません。

なんといっても、費用。

復元となれば国からの補助金も出るそうですが、それと小田原市の予算だけでは全然足りまへん。寄付によるところが大ですよねえ。


寄付には自治体主体と民間主体のものがあります。小田原市は、市民が中心となって基金をつくっていきたいそうです。市民が中心といっても、市民だけが寄付をするのではなく(それじゃ全然足りない)、全国の小田原ファン、お城ファンからの寄付もです。

熊本城の御殿再建、名古屋城二の丸御殿、駿府城などもこのやり方で予想以上の寄付が集まったそうです。駿府城なんて、約100億coldsweats02 だすて!凄いずら。


ふう。
ほんとに、長くなってしまった。

天守閣木造復元は、もちろんまだ決まったわけではありません。人・物・金のハードルも、もうここに書ききれませんがまだまだまだまだあるようです。だから、もしかしたら、耐震補強だけになるかもしれません。


しつこいですが、私は戦国時代の小田原のファンです。

しかし、この復元が成されようが成されまいが、こういう活動をすることによって地元の方がより一層小田原の城に興味をもってくれたり、小田原の歴史が全国区で有名になってくれたらいいなあと思っております。


http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/16-1928.html
小田原城天守閣を「木造で復元」する活動
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-d044.html

wine 以下は昔書いた輪島塗に関するブログ記事です

塗師屋のおやじ
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-4533.html
金を蒔く蒔絵、金を沈める沈金
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-6611.html
漆の上塗りは水をかぶって裸で!
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-0474.html
木地師 山中の虎
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-f10e.html
続・木地師「山中の虎」と「近江小椋谷」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-273f.html
漆の木♪人生ぃ~20ねん~♪
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/20-5efc.html

ほにゃ。


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2011年12月25日 (日)

「北条ワイン」でクリスマス

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~北条オタクの皆の者、どやっ!~


「坂の上の雲~第三部」。3回目までで一番印象に残っているのは、大迫師団長のセリフです。

「(北海道の兵は)、大層強うございました(←過去形)・・・」
幕末の戊辰戦争からの歴史が思いおこされ、短い一言なのにジワッ weep ときちゃいましたよ。

この役者さんは誰だろうと調べてしまいました。品川徹さんという方なんですね。さもありなんの、北海道出身ですって!舞台がメインの方のようですが、新しい方の「白い巨塔」で大河内教授を演った方ですわ!な~るへそ。


ということで・・・
さて、クリスマスxmasの今日は、トップの画像のワインの話を。。

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~毎年この時期に出るこの写真。マルゴー姫5ヶ月のみぎり。友人が上手にペイントしてくれた。~


wine人間の舌には、甘味を感じる部分、酸味を感じる部分、苦味を感じる部分とかががそれぞれありますね。奥の方が苦味、両側が酸味などという話を皆さんも聞いたことがあると思います。

また、グラスの口元の形状によって、液体の口の中への流れ込み方が違うということはご存知ですか?

口元が反っていたり、内側に入っていたり、まっすぐだったりによって(細かく言えばそれだけではないのだが)、酸味を強く感じる両側面に広く液体が流れ込んだり、逆に細く流れ込み甘味を強く感じる先端部に液体が集中したりします。


だから、酸味が強い飲み物を、舌の酸味を強く感じてしまうところへ主に流れ込む形状のグラスで飲んだら、より酸味が強調され、場合によっては酸っぱいぐらいに感じてしまったりします。渋味が強い飲み物や甘い飲み物も然り。


その原理を元に、ぶどうの品種によってグラスを変えて、それぞれのワインの特徴を生かしワインを美味しく楽しもうという発想から作られたのが、リーデル(Riedel)社のワイングラスなんですな。


wineリーデルではひとつのワイングラスが生まれるまでに、ワイナリーの人達も含め何百人もの専門家によって何度も何度もテイスティングが重ねられます。

科学的なデータに基づくだけではなく、人間の感覚にも重きをおくためです。


その他にも条件はたくさんあって、例えば、長い間眠っているワインは香りや味を開かせるためにボウルが大きなグラスがよいとか、機械作りより、手吹き(これも匠・・・いえ、マイスターの技)の方がグラス表面に凹凸があるためより香りが開くとか。グラスを割れにくくするため縁を丸く作ってあるものは液体が横に流れるので味が乱れるとか。

これはワインに限らず、日本酒だって、アイスコーヒーだって、ジュースだってそうですよね。あ、そうそう、グラスに直接口をあてて飲むと美味しいのに、ストローで飲むと美味しくなくなっちゃうなんていうのも、そういうことですかね。

まあ、つまり、スーパーで580円のワインだって、その長所を引き出すグラスで飲めばすこぶる美味しくなるし、何十万もするヴィンテージワインでも、その短所を強調するグラスで飲んだら残念な味わいになるということですわ。


wineリーデル社の回し者みたいなことを申しておりますが、私は昔から古今東西の匠(マイスター)の技が好きで、それらを扱う仕事に長くついていました。ワインや日本酒やモルト酒やそれらを楽しむための酒器(グラスや漆器や陶磁器)などの研修もあり、自分でスクールに通ったりなどしてけっこう真剣に勉強していたことがあります。

これらは、そこで学んだことです。とはいえ、離れてしばらく経つので随分忘れてしまいましたが、大所はこんなことだったと思います。興味ある方はリーデル社のHPをご覧くだされ。もっと詳しく書いてあります。


リーデルを扱っていた頃はバブルだったこともあり、関係者割引もあり、ワイングラスにも随分凝ったもんです。でも、今は、な~んでもよくなっちゃいましたbleah

一応、数種類のグラスは匠の技の手吹きも含め棚に鎮座ましましていますが、普段はもっぱら輪島塗のカップを使っています。これがね、形状がいいのか、材質がいいのか、何を飲んでも美味しいんですよ。


年に一度のクリスマス。しかも、 「北条ワイン」の赤。たまにはワイングラスで飲みますか。

「北条ワイン」の赤の葡萄は、「マスカット・ベリーA種」。カベルネとかシラーとかメルローとかピノじゃないのね。はて、どのグラスが 「北条」 の魅力heart01を一番引き出せるのか。色々なグラスで試してみることにします。一番マッチするのは、ベネチアンレースクガラスのカップってね(北条氏照ファンのみぞ知る)。


wine 北条ワイン

肝心なことを言い忘れていました。
「北条ワイン」 とは、鳥取県の「北条砂丘」産の葡萄を使い、現地の「北条ワイン醸造所」で造られた 100% メイドインジャパンのワインです。

ちょうど先日の朝日新聞にも載っていましたが、国産ワインで、原料となる葡萄に国産葡萄が使われているのは 25% 程度だそうです。輸入した濃縮ブドウ果汁やワインをブレンドするものがほとんどだからです。(裏の原料のところにも書いてあります。)

しかし今、国産葡萄で国産ワインを作る 動きが、特に30代から40代の若い醸造家の間で非常に盛んになってきているそうです。

前にも書きましたが、日本人は、日本のワイン業の存続と農業の活性化のために、少しは日本のワインを飲みましょよね kissmark


「北条ワイン」のラベルは、鳥取県の地図だそうです。正面からボトルをかざすと砂丘が透けて見えてくるんですよ。

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~↑この下の部分のラベルの裏側に砂丘が見えるのだよ。これじゃあ分かんないですよね。素敵ですよ。ボトルのガラスも綺麗。縦に、線というか歪みが入っているレトロなガラス瓶みたいなのよ。~


北条砂丘で葡萄が作られたのは、なんと!安政3年からだそうです。(葡萄栽培自体は奈良時代あたりから始められていたと甲州で聞いたことがある。)

葡萄は、作られた土地によって味が随分と違いますね。同じマスカット・ベリーA種でも、心なしか甲州産よりはドライで私好みのワインのような・・・。それは、けっして産地(信玄殿の甲斐)や名前のせいだけではないと思うのですが、ね。


ではでは、みなさま、メリークリスマスxmasにござりまする。
全ての人に、今より悪いことが起こりませんように。


「恵林寺で見た、松姫さまの手紙」 後半に勝沼見聞録とワインのこと少し。
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-d207.html


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画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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2011年9月 5日 (月)

上杉博物館 「重陽の節句展」 in 米沢

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~3年連続この日はこの写真(つまり8才の時のマルゴー姫)~

今年もあますところ、あと4ヶ月。早いものですねえ。3月11日以降の数ヶ月がぽっかり抜けてしまっているようで、今年はよけいそう感じるのかもしれません。季節はすでに秋です。「マリコ・ポーロの後北条見聞録」もはや3年目に突入しました。人生、あっという間です。

さて、今週末(金)の九月九日は、「重陽の節句」にございます。縁起の良い「九」の数字が重なる「重陽」です。「菊の節句」ともいいますね。菊の持つ霊力で邪気を払い不老長寿を願う、はるか昔から続いている行事です。


今、米沢上杉博物館の文華館では、「贈答~重陽の節句」という企画展が催されています。イチオシは、国宝上杉家文書の「豊臣秀吉朱印状」のようです。

北条運命の天正18年(比定?)、上杉景勝がサル殿下に小袖と初鮭、鶴松君に小袖を贈ったことに対する、サル殿下からのお礼状です。小袖は、重陽の節句の定番の贈りものだそうですね。

小説や、資料・史料などを読んでいると、「重陽の節句」の場面がよく登場しますよねえ。古典文学はもとより、赤穂浪士でも出てきますし、里見最後の当主・忠義さんが国替(配流)を言い渡されたのも重陽の節句のご挨拶に江戸城に上がる時でした。

また、天正17年の「重陽の節句」にも有名なちょっとした事件ありましたね。サル殿下への重陽の祝賀を申し述べる順番を、前田と上杉で争ったアノ事件です。関東管領だった家の立場をひけらかして小賢しいことを申し述べる兼続を、前田の重鎮(家老)村井殿がはねつけた、あの小気味いい話。

ちょっと話はずれますが、私は謙信公はファンですが、そのあとの上杉家を奪った(取り返したといった方があってる?)上杉家には、あまり興味がないんですよ。上杉謙信公と、謙信後の上杉家は、謙信前の上杉家と同様に別物だと思っているのでね。ごにょごにょ。すみませんねえ。


話を戻し。
上杉文華館の「重陽の節句展」は、9月27日(火)までですが、7月のテーマは「珍しきもの~特産品」で、われらが兄上さま(北条氏政)の書状が展示されていたんですね。例の、氏政さんが謙信公に江川酒と蜜柑を送った時の書状です。見たかったな。上杉博物館の展示はいつも充実してます。

小田原北条家にも全国からのたくさんの書状が保管されていたのでしょうね。滅ぼされた家は、残ったものを処分されてしまいますから、北条家が他家から受け取った書状はあんまり残ってないようです。残念ですねえ。謙信公や信玄や信長や政宗公が北条に宛てた書状はもっともっとあるはずですよね。見たかったですねえ。


今週は、菊の花を飾り、今この国にまとわりついている邪気を払い、私たちみんなの長寿と健康を願いたいと思います。

以下、以前の関連記事なり。

「九月九日は・・・」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-c9d0.html
「北条氏政が謙信公や信長にプレゼントした江川酒」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-493e.html

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2011年4月19日 (火)

白洲正子展「神と仏、自然への祈り」

先日見に行った、世田谷美術館「白洲正子~神と仏、自然への祈り」のこと。

最近何でもすぐ忘れちゃうから早く書きたかったのですが、震災以降、「神も仏もない、自然は怖い」と思ってしまっているのでなかなか書き進めないでおりました。いつもみたいにノリノリでは書けそうもないけれど忘れないうちに。

Image1239 ~那智大社と那智の滝。いにしえ、熊野・那智へ行った時に撮った写真を、また撮った。雨だった。墨絵のようだった。~

白洲正子は大好き。その人個人の人となりとか、ライフスタイルとか、その夫とか、ではなく、白洲正子の旅の仕方や、日本の風景や風土の感じ方が好き。しかしご本人にはお会いしたくないかも。恐そうだから。亡くなりましたがねえ。


白洲正子との最初の出会いは「十一面観音巡礼」です。もうかれこれウン十年ぐらい昔になりますかのう。。

水上勉の「湖の琴」や、井上靖の「星と祭」を読んで湖北の十一面観音に惹かれ、各種関連書物を読むと、「白洲正子」という人物が必ず登場するのです。そして行き当たったのが「十一面観音巡礼」。

それから、白洲正子の全ての著作を読みあさり、
写真集を書い、
お能を見(高いから数回だけで終わり)、
ビデオを買い(高かったのに、今はビデオデッキなんて無いから見られぬ~)、
部屋の模様替えをし、
お酒は白洲次郎のマッカラン好きに感化されシングルモルトにはまり、
亡くなってから一般公開されたお宅「武相荘」へも行き、
果ては伝統工芸を扱う会社へ転職し、
あれをし、これをし・・、

ウン十年の間にいったい白洲正子に幾ら(\)つぎ込んだことか。返せー、戻せー、とまでは言わないですけどね。幸か不幸かお金がないので骨董だけは「見るだけ」で済みました。

それに、今流行りのBL(オジ様方わかる?)だって、まあそれまでも、赤江漠さんや、萩尾望都さんや、木原敏江さんや、竹宮恵子さんや、(男子諸君、分かる?)で洗脳されてはいましたが、なんてったって白洲正子の「両性具有の美」でありますよ。カテゴリーも別ですが、失礼ながら格調が違いました。


白洲正子以前の私の旅のバイブルは司馬遼太郎の「街道をゆく」でした。京都はそれまでもよく行っていましたが、白洲正子以降は、西行を訪ね吉野へ行ったり、熊野へ行ったり。

近江も、白洲正子以前は、司馬さんの、浅井、佐々木、長浜、近江八幡、国友鉄砲鍛治だったのが、白洲正子以降は、湖北、竹生島、湖東の奥地を歩き回り、中身はてんで浅いのにもう笑っちゃうけど、「ナリキリ白洲正子」でござった。

Image12361 ~一部でござる~

なんだ、ノリノリじゃないか、マリコ・ポーロ。書き始めると止まらない。いやね、あの頃は楽しくていい時代だったなと思いましてねえ。私達がバブルを謳歌し過ぎたので、今こんな時代になっちゃったんですかねえ。

例によって、ここで私が浅い知識で白洲正子の著作や経歴や物の見方や、本地垂迹、補陀洛渡海、白山信仰を語ってもせんないですし、それに、浅くても浅いなりに話し出したらやめられない止まらない。高野山の時みたいに4部作ぐらいになってしまうのでやめときます。

興味がある方はご本人の著作をお読みくだされ。私は「十一面観音巡礼」から入りましたが、代表作は「かくれ里」ですかね。「街道をゆく」と、白洲正子はかぶっている場所が多いので両方読むと楽しいですよ。


白洲正子でわらわが萌え?られなかったのは二つ。一つは、青山二郎。

もうひとつは、明恵上人。足跡をたどったり、他の方の書いた物も読みましたが、明恵上人よく分かりませんでした。ちょっと偏り過ぎというか、オーバーというか、一人の世界というか・・・。

今回の企画展には、白洲正子が絶賛した明恵上人樹上座禅像(じゅじょうざぜんぞう←言える?)がきていました。この本物を見たら分かるかなと思って行ったのですが、やはり、わらわにはよく分からなかった。


「白洲正子~神と仏、自然への祈り」は、会場中に神さま仏さまのワールドが隙間なく展開され、密閉された空間にその発する気が充満していました(私にはそう感じられました)。

そのせいかどうか、途中で少し気持ちが悪くなり後半はショートカット。一緒に行った、白洲正子シンパの親友とは入館するなりはぐれ(いつも)、一足先に外へ出ました。

お花見客でいっぱいの、公園の‘俗’な空気を吸って、ほっ。青山二郎ではないが、「余白」をくれ~。


そうそう、アプローチがなかなかよかったです。入口を入ると、薄いグリーンのトーンの熊野古道を歩き、突き当たるとそこは頭上から那智の滝です。??でしょ。ま、行ってみてくだされませ。

開催は5月8日まで。明恵上人樹上座禅像は4月24日まで。

Image1238 ~那智の滝。同じく、撮った写真を撮った写真。水しぶきがビシビシこちらまで飛んできたのを思い出した。~

▲ おまけ

文化庁その他で、被災文化財の救援、修復・保存に関する寄附金・義援金を受け付けていますね。主旨や詳細や振込み先は、文化庁のHP、長官のメッセージにあります。

以下、漆塗りや金箔の事を書いた最初の頃のブログ記事ですが、よろしければ。

続・木地師 「山中の虎」 と 「近江小椋谷」
http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-273f.html


では。。。

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画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。

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2010年10月 5日 (火)

誇り高きデザイン「鍋島展」

まさに誇り高い!
ハイ、ハイヤー、ハイエスト・・・エクスペンシブ!
サントリー美術館の「誇り高きデザイン 鍋島展」を見てきた。

Image10081 ~染付雲雷文大皿(ポストカード)~

horse 「鍋島」とは

詳しくないが、知ってる範囲だけ。
佐賀鍋島藩の公用窯で、お殿様の自家用、他大名家へのギフト、将軍家への献上用のためだけに焼かれていた。一般市場には出なかった焼き物である。民間に出回るようになったのは徳川幕府が崩壊した明治になってからだ。


「鍋島」を代表する赤絵の技法は、今泉今右衛門家、門外不出・一子相伝・他言を許さず。それは、現在の14代まで続いている。藩窯は大概そうだが、「鍋島」は秘密保持のため特に人里離れた山奥の窯で焼かれていた。

昔、私は茶道を習っていたが、私のようなただのお稽古人でも段階を上がるにつれて、先生から直伝の教本には載ってない「他言を許さず」的なお点前を教わるのだから、伝統的なものにはすべからくそういうことがある。とはいえ、私なんかがお点前を他言したって殺されやしないが(それ以前に忘れちゃってて他言できないが)、当時は命にかかわることだった。


若い頃は備前とか信楽とか唐津とかの土物の「作家物」が好きだった。有田や九谷などは古臭いと思っていた。年齢がいって、ある日ふと食卓を見た時、「なんだか地味~、暗い~」と思い(だいたい歳をとってくると食べ物もショボくなるからよけい地味だし)、それからは、お小皿とか小鉢に「匠の技・職人仕事」の色絵の磁器を使うようになった。といっても旅行した時にちょこっと買えるようなもので大したものじゃあない。


そんなこんなしているうちに輪島塗屋にご縁ができ、そこからの繋がりで今右衛門家のご当主(代表)にお話を伺う機会が何度か出来た。数年前、熱海のMOA美術館で「鍋島展」があった時、ご当主が「ここまで鍋島が一堂に揃うのはまずない」とおっしゃるので、それじゃあと見に行って、目からミツウロコ。


horse 以下、わらわの主観たい

17世紀後半~18世紀の鍋島の、なんてモダンで垢抜けていることか。古臭いなんて言ったのは誰ばいっ!特に、小鉢(向付)や小皿に描かれた上絵の力強さ。デザインは洒落てて、しかも上品なことと言ったらないばい。一尺の大皿も素晴らしいが、小さな器の方がそのパワーがよりキュッと凝縮されているように思える。

器の縁取りが無いものが多く、それはつまり、上絵が器の外へ シュワッ と、はみ出すように描かれているということである。

器の裏側にも、それが表といってもいいくらいの絵付けがなされている。小さなお皿でもほとんど高台があり、それも高さがあって、そこにも絵が描かれているのだ。さすが御殿用。ステキheart


それぞれの‘色’もハッキリクッキリではなく、微妙なニュアンスがあり、その色のグラデーションの種類の多さにも驚いた。‘青’ひとつとっても、どれだけの種類の‘青’が使われているのだろう。昔、「染付(藍&白のね)ってつまんない」と思っていたが、それは、安い染付しか使ってなかったからで、17世紀後半~18世紀の鍋島の染付を見たらそんなことは言えなくなった。


上の写真の染付雲雷文大皿
大皿の中央の白い丸い部分は、写真がヘタでぼやけているのではない。ボワボワボワッと光って見えるように、周りを「墨はじき」の技法でボカシているのだ。雲と雷と差し込む光。美術館の暗がりに浮かびあがる、青と白しか使っていないこの一枚のお皿は、まるで「日蝕」のようだ。


今回のサントリー美術館では、ところどころで、「鍋島」がヒントを得た元となる民窯の有田等の焼き物が隣り合わせに展示されていた。説明にそうは書いてないが、「ほ~ら、こがん違っとっとよ」ということでしょ。すごい自信だが、それだけのものはあるなあ。

もちろん他の民窯のものも素晴らしいが、 「緊迫感」 が違うのである。皆さんも、これは、焼き物に限らず漆器でも絵でも、石垣でも、安土桃山時代から江戸初期の物に特に感じると思うが、これはやっぱり、失敗したら殺されるかもしれない、というぎりぎりの仕事からくる迫力なのかな。


サントリー美術館の「鍋島展」は11日(祝)までなので、もしお時間あらば、目からミツウロコを落としに是非行ってみてくんしゃい。「墨はじき」の技法を得意とする、当代・14代の作品も見られっとっとっとよ。


それから、今右衛門さんの東京店では、
10/16(土)~23(土)は、「至福の一献・想いのこもった酒気との語らい」を演出した器展だそうだ。こちらは現代の今右衛門の陶工達の匠の技である。

ちなみにマリコ・ポーロ、鍋島は・・・持ってない(買えない)。

今泉今右衛門さんのHPばい。
http://www.imaemon.co.jp/

そいぎ~。←佐賀弁で「ほな、また~」


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画像は全てマリコ・ポーロが撮影したものです。画像と記事の持ち出しは平にご容赦願います。

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2010年9月24日 (金)

根来寺と根来塗(ねごろぬり)

前回の「根来寺」続きなり。
本坊の方へまわり、司馬さんが「街道をゆく」で根来塗ののことを、

「・・・主張や執着というどぎつさを去ってしまったもので、こういう色はまれに天然のなかに見る。たとえば残照の雲間にふとあらわれてつぎの瞬間には消えるかもしれない赤である。」

と、すこぶる付きに情緒的な素晴らしい文章で表現された、聖天堂の修法壇(しゅほうだん・すほうだん)を見せていただいた。

Photo ~根来寺の修法壇。入室不可。離れて廊下から撮った。~

嗚呼、しかし、哀れマリコ・ポーロは、まれに天然の中に見る赤という色もよく分からず、残照の雲間に瞬間あらわれるかもしれないその赤がどんな赤かも知るべくもなく、その上、輪島塗もかじり始めた(販売と紹介発信)ばかりで、その修法壇は、塗り直しが必要な乾燥しきったカスカスの赤にしか見えなかった・・・。

‘物’というのは、それを見る人間が、深いか(司馬さんや須田画伯)浅いか(わらわ)で、こんなに価値が違うものなのね。そもそも比べるほうに無理がある。

今だって分かっちゃいないが、でも、もう一度見てみたいなあ。


今、中世の根来でつくられたと断定できるのは、実は一点だけとのこと!どれかしら?あの修法壇かし?中世、根来で朱塗の漆器製造が発達したということは、空海の水銀鉱が、覚鑁に引き継がれたということでもあるのかな。


horse 中世の根来塗 (ねごろぬり)

天正13年、秀吉により根来が攻められた時、根来塗りに従事していた者達が各地に散ったことにより、この「中世の根来塗」の技法が日本中に広まったといわれている。


漆塗りの到達点と言われる根来塗。輪島塗屋のご当主はじめ漆塗りにたずさわる方達がおっしゃるには、その到達点には、出来上がった時に達するのではないそうだ。漆塗は全てそうだが、出来上がった時は「産まれた時」。その後、人の手によって日々使われ、使われ、使い込まれ、何十年後何百年後かにやっと「完成」の状態になる・・・らしい。


根来の場合、それは…

根来塗りは朱塗りである。最近は黒根来(怪しい忍者集団みたい)というのもあるらしいが、基本は朱塗りだ。しかし、朱を塗り重ねたわけではない。中塗りに黒漆を塗り、最後の上塗りに初めてを使う。だから、よく見ると、塗りがおさまりにくい椀やお皿の縁は、かすかに黒が見えている。呂色はしない。つまり、ツヤツヤにしないのだ。上塗したまま。

それを、長い年月、さわって、洗って、拭いて…を繰り返すうちに、ところどころ下の黒が現れてくる。ここらあたりから、根来としての味が出てくるのだ。

美術品の域に達するには、日常使いが必要なのである。
大事にしまっておいたら完成はしない。

それが、根来。


horse 現代の根来塗

でも、これじゃあ自分の一生では完成品は見られないcrying。今、自分が見られるのは、先代、先々代が買って使い込んだ物。だから自分も次代、次々代のために新しい物を誕生させ使い込んでいかなければならない。これは、自家のためだけのことではなくて、日本の漆文化の存続のためとも言えると思う。


とはいえ、生きてるうちに、好きな器が‘根来った’とこを見たいのは人情。バイトを雇って一年365日磨かせてるわけにもいかぬ。

そこで、そういうお客様のご要望に答えるために、デザインを考えながら、わざと、ところどころ砥いで下の黒を出すことをする。これはもう「根来」ではなく「根来」である。

元を言えば、「根来塗」とは、根来で作られた物をいう。どんなに、この中世の手法に忠実につくり、100年後どんなに素晴らしい味がでたとしても、例えばそれが輪島でつくられた物なら「根来輪島塗」、京都でつくられたものなら「根来京漆器」としか言えないなのだ。


それでも誰かが継続してつくっていかねば、天正13年の根来攻めでもせっかく残った根来塗の技法は、21世紀遂には滅びてしまう。


と、分かったようなことを言っとるマリコ・ポーロ。美術本で眺める古根来は美しい〜heart01と思うが、博物館や日本橋の美術骨董まつりで見る古根来は、う〜ん…古いsweat02が第一の感想。まだまだ全然分かっちゃない。


でもね、ここで疑問。
ご先祖さまから譲り受けた漆器をとっても大切にしてて、これからも孫子(まごこ)の代まで使い続けたいと願い、美しく「塗り直し」なんかしてしまったら・・・永久に‘根来らない’んじゃないの??なんて思ってしまうんだが、いかに?


漆器や漆塗に興味をもってくださった方は、カテゴリー「漆・金箔・伝統工芸など」を読んでいただければ恐悦至極なり。こんなに、小難しく書いとらんぞよ。気楽に覗いてくんなまし。

http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-0474.html
このあたりじゃ。


ほな。


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2010年9月21日 (火)

司馬遼太郎さんにカブレてゆく、根来(ねごろ)

[根来寺] ブログ村キーワード


高野山からおりて紀ノ川を下ると、根来(ねごろ)という土地に着く。

空海が高野山を開いてから約300年後、高野山に大騒動があった。座主の地位を追われた(捨てた?)興教大師(こうぎょうだいし) 覚鑁 (かくばん)が、高野山を下り、後に信長や秀吉をも恐れさせる一大勢力「根来寺」を興したところである。

Photo ~根来寺根本大塔(2007年)~

先日来、高野山「小田原坊」での夜の気配からどうしても抜けきれないでいて、数年前のことではあるけれど印象的だった根来寺でのことも書きたくなってしまった。

数年前に初めて高野山へ行った頃は、輪島塗りにかかわっていたこともあり、根来塗りや根来衆ゆかりの地「根来」に興味があって、根来関連の物を読みあさっていた。
大好きな司馬遼太郎さんが、「街道をゆく」の中で根来のことを、

吹く風までがただごとではないのである…

と書かれていらしたのを読んで、その「ただごとでない風」の中に立ってみたくなった。


その時は、高野山修行中の仲良しの親戚の子に御山(高野山)を案内してもらう旅だった。親戚のお寺はちょうど覚鑁が興した新義真言宗の某派。本人も根来寺はまだ行ったことがなく、是非行こう!ということになったのはよかったのだが、その日大事な試験があり、根来へは私ひとりで行くこととあいなりもうした。


horse 根来寺(ねごろでら)

根来へは、現代は舟で紀ノ川を下ったり出来ないので、和歌山駅に出て、そこからバスかタクシーで15~20分位。

駅まわりの賑わいを抜け田畑風景の中を少し走ると、道はすぐに低い丘陵地帯に入る。高野槙の木やほんのちょびっと残る古い石垣の名残が見られる、緩やかな丘と丘が折り重なりあう間の明るい谷を車は進む。


400年前の根来寺は、この谷々に2千七百あまりの院坊が建ち並び、一万人以上の僧兵(根来衆)をかかえた、石垣の連なる大城塞宗教都市。信長や秀吉が徹底的にたたき潰しにかかるほどの一大勢力だった。

そこだけポッカリあいたような、カラ~ン(ガラ~ンではなく、カラ~ン)とした広い空間に着くと、そこが根来寺。


朝早く行ったので、まだ開門前。とはいっても入れちゃうのだがそれは無礼ゆえ、しばしボーッと、山に囲まれて丸ぁるくスコーンと抜いたような青い空を仰いでいると、
「ごめんなさぁい、お待たせしましたね~。どうぞどうぞ」とお寺の方。まだ開門時間前なので遠慮していると、「お堂を開けるから一緒に行きましょう」。


歴史やお寺が好きな人でも、根来寺は根来攻めの時に灰儘と化しすべては埋もれてしまっていると思ってらっしゃる方が多い。兵火によりほぼ消滅したが、それでも仏像や、大門、根本大塔(国宝)、大師堂(重文)などは当時のまま残っている。


お堂の扉の鍵を開けてくださっているのを後ろで待つ間、ふと壁に目をやると、弾痕が撃ち込まれた跡。よく見るとたくさん。うぅっ、これは会津の滝沢本陣よりスゴイ。。。
鉄砲のトップ商社だった根来は、その鉄砲を散々撃ち込まれて滅びることになったのであるかぁ。


ギギギーっと扉が開いて、「さぁ、ど~ぞ~。すぐ明るくなりますからね~」。真っ暗で何も見えぬ中に立っていると、係りの方が明かり取りの戸板を開け始めた。

一枚一枚開けられるたびに差し込む朝の日差しに、内陣の仏様が一体一体浮かび上がってきた。それはなんとドラマチックな光景だったことよ。係りの方にとっては毎日の当たり前の光景なのだろう。仏様にササッと手を合わせスタスタと向こうへ行ってしまったが、私には、今でも忘れられないぐらいの印象的なひと時たっだ。


そういえば、私は勘違いをしていたが、根来衆って僧兵のようなファッションではないんですってね。平安時代の弁慶のようなとまでは思わなかったけど、短髪や坊主頭で、黒っぽい、まあ弁慶に近いカッコで鉄砲のお手入れ・・みたいに想像してた。ところが、通常は着流し姿で、髪は後ろで一本に束ねて垂らしていたって?そうなんだ~。


horse 興教大師 覚鑁(かくばん)

覚鑁上人は、覚鑁を追った高野山にも大切にお祀りされている。奥の院参道中ほどをちょっと入ったところにある「密厳堂」 。このあたりの参道は石段になっていて「覚鑁坂」とよばれている。参拝者は素通りしていく人が多いが、親戚の子が言うには、現代の高野山のお坊さん達は皆きちんとお参りしているそうである。


もうひとつ、奥の院と壇上伽藍の間に、刈萱道心と石動丸くんをおまつりした「刈萱堂」というお堂がある。ここに「密厳院」という塔頭があるが、こちらが覚鑁が高野山にいらした時の自坊の跡のようだ。

定かではないが、高野山での覚鑁上人のご本尊は運慶作の不動明王。前北条の北条時政が寄贈したもので、今、これは、マリコ・ポーロが先のブログ「早雲・秀吉の兵火に耐えた五体の運慶仏」でご紹介した、願成就院の一体だって!!ほんと?


根来寺は、江戸時代に紀州徳川家の庇護を受け、ある程度は復興をしたはずだし、最盛期のお堂や塔や仏様も残っている。なのに、そこには、「一大勢力が滅びて何も無くなった地」の雰囲気が漂っている。

そして、こう言っていいのか悪いのか。
空は明るいのに、囲む山々は緩やかなのに、‘気配’がない。仏も僧達も皆いなくなって、覚鑁の魂だけが取り残されている・・・そんな感じがした。これは、なんなのだろう。


覚鑁という方も、他の宗派の開祖達に比べると今ひとつ知られていない。「根来」とか「覚鑁」とか聞くと、お坊さん達は違うだろうが、私達歴史好きにはなんとなくミステリアスな妄想が浮かぶ。

覚鑁上人は、500年後、根来の寺が自分を追った高野山にもまさるとも劣らない大勢力となり、その荒々しさがために時の権力者に攻め滅ぼされ、今、伝説のようになっていることをどう思ってらっしゃるのだろうか。


享年49才。信長や謙信公と同じだわ。なぜだか、すご~く長生きされたようなイメージがあったけれどそうじゃあなかった。とても研ぎ澄まされた人生を送られたのでしょうねえ。お墓は、根来寺奥の院にござります。


horse 日前国懸神宮(ひのくまくにかかすじんぐう)

耳馴染みがないお名前でございましょう。

紀伊之国の一宮。日前神宮と国懸神宮の二つのお社が、ひとつの境内にお祀りされているのでこういう名前になっている。

創建は2600年以上前!!
古いです。由緒おおありです。神さびまくってます。


根来に行った時、もう少し時間があった。和歌山城に行こうかどうしようか迷ったが、藤堂殿にも紀州さんにも復元された天守閣にもあまり興味がなかったので(後で認識したのだが、和歌山城には藤堂殿時代の野面積みの石垣が残ってるって…行けばよかった…)、「街道をゆく」で司馬さんオススメのこのスゴイ名前のお宮へ寄ることにした。

二つのメインお社はシンメトリーに並んでいたが、それどころではなくて、境内には何十もの神様の小さい古色蒼然としたお宮が所狭しとおわすのである。うかがったところ80余りあるそうだ。

神宮の境内といっても、広々と清々しい境内、というのではない。明治神宮や伊勢神宮のように整然とした森という感じでもなくて、どちらかというと原生林に近い感じ。奈良の春日大社ほど濃い密林とも違うが、あまり人の手を入れていない原始の森のように(原始の森は見たことないが)、木々がバサバサ生い茂り、立ち枯れた木も若木も一緒くたに乱れ折り重なるようにうっそうとしている境内であった。

なのに、なんとこの神宮、和歌山駅のすぐそばの超街中にある。これが一番の驚き。


平日の夕方近かったこともあるかもしれないが、参道も広いのに恐くて、よう散策でけへんかった。私、日前宮の神様達に拒否されたのかな。


ほな。


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2010年8月 7日 (土)

暑いときは美術館へ

Image9191 ~この建物はどこでしょう?(2010年7月ある日の逢魔が時)

こう暑いと、せっかくお休みをとっても、炎天下での史跡見聞は修行(苦行)に近い。ましてや山城の中に分け入っていくなんて、冬にオホーツク海へ入るより辛い(かな?)。家で本を読んでいてもいいのですが、もう少し何かしら歴史の中に浸りたい。そんな時は美術館や博物館・資料館へ行きます。

東京のど真ん中のチョイト脇、小さな家が密集している、大地震がおきたら超あぶないエリアにある我が家からは、ありがたいことに都内や横浜あたりの主要美術館へ電車で30分程度。午前中に日常生活の野暮用を秒速で済ませてから美術館へ行っても夕方には帰ってこれちゃうっつう寸法なのです。気に入った企画展は何回も行くことも可能。最近は夜遅くまで見せてくれてるところもあるので、仕事帰りにも行けるのが嬉しいね。


horse お気に入りの美術館はあまたあれど、例えば・・・、

王道!東京国立博物館。以前、本館の大階段を「歌を歌いながら下りてみたい」と言ったら、友人に「やれば、止めないから」と言われたがまだやってないですが、その中でも法隆寺館がかなり好き。

東博の裏の東京芸大美術館。江戸城の絶景が素晴らしい出光美術館。三井、根津、五島、静嘉堂文庫(岩崎弥太郎の弟さんが設立した文庫だわね。岩崎家のモノスゴイ霊廟もある)、大倉集古・・・などなど。
あと、収蔵品や企画展とは別に、原美術館のお庭でワインとか、庭園美術館のカフェ(銀座の大老舗料亭・金田中がやっている)でお茶なんかも、普段アウトドアで飲み食いばかりしている身としては、たまにはいいですね。


horse 最近の企画展はどこも、展示手法はもちろんのことイヤホンガイドも凝ってますねえ。

芸大の「金比羅宮・書院の美」の時の、片岡愛之助さんは良かったなあ。最後に「こんぴら歌舞伎へど~ぞ」とおっしゃってました。そういうことか。

東博の「対決・巨匠達の日本美術ナンタラカンタラ」←タイトル忘れた、の時のイヤホンガイドも、「もうひとつの対決」と銘うって、たくさんの人気声優の方達がそれぞれの巨匠に紛し、芝居のように解説をしてくれたのも面白かった。

「フェルメール」の時、イヤホンからゆかりのオランダの作曲家のクラシックがずっと流れていたのも素敵だったね。

Image9201
~この夏は、例えば、これら~

出光美術館の「屏風の美展」と、三井記念美術館の「奈良の古寺と仏像・會津八一のうたにのせて」と、サントリー美術館の「誇り高きデザイン 鍋島」。


horse 「屏風の美展」

先日終わっちゃっいましたけど、南蛮屏風を見てカステイラを思い浮かべたのは私だけじゃないはず。

そりゃあ家にもひとつ欲しいわね、屏風。今回の屏風の中から、もしひとつあげると言われたら?わらわは「業平東下り図」ですわねえ。お部屋に,、富士山とイケメンの貴種流離譚図なんて、よろしいかと存じます。マルゴー姫にバリバリにされそうですが。


屏風や障壁画を展覧会で見る時はいつも思いますが、当時は座って眺めたものでしょう。目線を合わせて、展示をもう少し高い位置にしてほしい。最近はそうしてくれるところも多いですが、天井の高さも影響しますからなかなか難しいのでしょうね。時々中腰になって見るのですが、疲れるし、まわりで世間話ばっかりしているオバ達に妙な顔で見られちゃいました。

蕪村の山水画を見ていたら、深山幽谷で涼みたくなった。


horse 「奈良の古寺と仏像・會津八一のうたにのせて」

上の写真の大理石の建物は、三井記念美術館のある三井本館ビル。重要文化財なり。

仏像は、見るもんじゃなくて拝むものだ!

と硬いことはよう言わんでくだされ。これはこれでよかったですよ。


イヤホンガイドは、元某公共放送の加賀美さん。まるでその局のドキュメンタリー番組を見ているようでしたが、いい声には違いないですね。
その声で會津八一のうたをよみます。「天文十四年、河越城を奪取した北条氏綱は・・」って違うpaper違うpaper。これは風林火山のナレーション。

仏像の好みも人それぞれ。私はね、飛鳥時代の仏像が好きなんです。若い頃は華やかで柔らかい平安時代の仏様が好きでした。その頃は飛鳥時代の仏像は、表情といい体つきといい、異形な感じがして少々ひいてました。今は逆に、その異形なところに魅力を感じるようになりました。

それから、神像も好き。十一面観音を訪ねて湖北をまわった時、己高閣(鶏足寺跡)でまみえた神像が素晴らしかったことから神像好きになりました。

今回のこの仏像展におでましになっていた、吉祥天立像。平安時代の作ですが、神像のようでとても好きです。あと、押出仏(銅版に仏様を浮き立たせたもの)っていうのもいいんですねえ。こちらも、おウチに欲しい。


でも、やっぱり、仏像はお寺で見たい(拝みたい)。

こちらは、9月20日まで。


bottle 三井の帰り
「室町砂場」の日本橋店で蕎麦をたぐるか、「玉ゐ」でアナゴだぁね、旦那。


horse もうひとつ、これから開催の美術展、「誇り高きデザイン 鍋島」 at サントリー美術館

何年か前のMOA美術館に勢揃いした古鍋島?初期鍋島?(ご説明いただいたが難しいよ~、分からん)は素晴らしかったですが、今回も見応えあるものになるそうですよ。初期鍋島を見た後に、江戸時代中頃のを見ると、なんかちょっと…ごにょごにょ。知人なだけに、マリコ・ポーロ的偏見が言いにくい。しかし、鍋島勢ぞろいがまた見られるかもしれない思うと、非常に楽しみ!

開催期間は、8月11日~10月11日です。

今右衛門さんの東京店は、サントリー美術館の隣の駅「青山一丁目」徒歩3分。ホンダの裏なり。


ほな。

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2010年3月17日 (水)

松林図ならぬ竹林図

先日、山中城へ向かっていたところ雨が大降りになってきたので、途中の熱海MOA美術館へ予定変更。


Image6611_21

MOA美術館の、海を見下ろすロビーラウンジの全面ガラス張りの窓からの景色です。長谷川等伯の「松林図屏風」を思い出しました。


ご多分に洩れず、私も、長谷川等伯が大~好きで、最近のお正月は東博で等伯の(失礼・・sweat01)、「松林図」を見るのを楽しみにしています。

MOA美術館の新年は、尾形光琳の「紅白梅図屏風」。こちらは友人が大好きなので、これも、見に行くのが恒例行事となりつつあります。


今、東博で等伯がsweat01大公開されていますが、混んでいるそうですねえ。何時間待ちでしょう。尻込みしてます。

以前、出光美術館で「新発見 長谷川等伯の美」をやった時は行きましたが、その時よりたくさん出展されているのでしょうねえ。


京都の智積院にある等伯一門による障壁画も好きで、京都に行った時はなるべく帰りがけ(京都駅に近いから)に拝見していきます。ここんとこ八王子城にカブレてて西方面はとんとご無沙汰してますが。

智積院の、等伯とご子息の久蔵によって描かれた「桜図」

ある時、お寺の方が電気を消してくださったことがあります。闇の中に浮かび上がる、胡粉で盛り上げられた桜の花。桜図は一転、 「艶なる夜桜」 になりました。見ているこちらが、宇宙に浮かび上がったような気分になりました。


前に「蒔絵・金箔」のところでも書きましたが、昔は夜は真っ暗。ロウソクや手燭の灯りの下(もと)で見る障壁は、こんな感じだったのですねえ。

「若冲展プライスコレクション」では、この手法で数々の障壁画を見せてくれてました。


今回の東博には、智積院から「楓図」と「松に秋草図」が出陳されているそうですね。その間、智積院の方では、通常は非公開の等伯の「十六羅漢図」が展示されるそうです。見たいですねえ。仕事は休めないし、お金は無いし、無理ってもんです。

東博行きますかね、大至急。東博は見せ方も楽しいし、近いし、1,500円だしね。

美術館、博物館は最高峰のものが千数百円で見られるのです。素晴らしいね。


ほな。

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2010年3月 5日 (金)

木地師 「山中の虎」 受賞!

漆について書いた先のブログにお出ましいただいた、「山中の虎」 中嶋虎男さんが、第33回全国伝統的工芸品コンクールで

「経済産業大臣賞」 を受賞され、本日(3/5)は表彰式がありました。


おめでとうございます


素晴らしいです・・・というか、山中の虎は今までも数々の賞をお取りになってらっしゃいますが、経済産業大臣賞とは素晴らしいです。

ちなみに、内閣総理大臣賞は輪島塗の津田哲司さんでした。


21世紀で、日本の漆器を絶滅させないためにも、皆でどんどん本物の漆塗りの物を使いましょうよ。別に食器でなくても、アクセサリーでも、文房具でも、家具でも、なんでもいいがよ。

ほな。


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